鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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注⑴ 玉蟲敏子『都市のなかの絵 酒井抱一の絵事とその遺響』ブリュッケ 2004年・松島仁『徳川将軍権力と狩野派絵画 徳川王権の樹立と王朝絵画の創生』ブリュッケ 2011年・宮崎もも「酒井抱一の画業における国学の影響─「五節句図」に注目して」『美術史』159  美術史學會 2005年― 378 ―― 378 ―⑵ 主な文献は次の通り。『江戸城本丸等障壁画絵様 調査研究報告書』東京国立博物館 1988年・『狩野晴川院養信の全貌』板橋区立美術館 1995年・松原茂「奥絵師狩野晴川院─「公用日記」にみるその活動」『東京国立博物館紀要』17 東京国立博物館 1981年・小林忠「狩野晴川院筆源氏物語子の日図屏風」『古美術』71 三彩社 1984年・片桐弥生「狩野晴川院の源氏絵屏風」武田恒夫先生古稀記念会編『美術史の断面』清文堂出版 1995年・宮崎もも「江戸時代後期における狩野派の模索と展開」『江戸の狩野派─武家の典雅』大和文華館 2007年・木下京子「江戸狩野派の源氏絵屏風の展開と両面屏風についての考察─晴川院養信と祐清邦信を中心に─」奥平俊六先生退職記念論文集編集委員会『畫下遊樂2』藝華書院 2018年⑶ 田口榮一「源氏絵屏風─中世・近世初期における源氏絵の系譜」山根有三編『日本屏風絵集⑷ 前掲注⑵文献参照⑸ 安村敏信『もっと知りたい狩野派 探幽と江戸狩野派』東京美術 2006年⑹ 前掲注⑵木下氏論文⑺ 前掲注⑵片桐氏論文⑻ 前掲注⑵木下氏論文⑼ 養信による「江戸城障壁画下絵 西丸御殿大奥対面所」(東京国立博物館)の紅葉賀の場面に⑽ 本田光子氏の論文「文化十二年江戸城の舞楽上覧と二つの舞楽図巻「舞楽楽器之図」(東京国立博物館蔵)と水野廬朝「舞楽図巻」(大英博物館蔵)」(『愛知県立芸術大学紀要』46 愛知県立芸術大学 2016年)では、『公用日記』に、栄信と養信が、文化12年5月に江戸城本丸御殿白書院で行われた舞楽や楽器、装束の地取を命じられたことが記されているという。なお、「文化十二年於御白書院蹴鞠上覧及文化度白書院中庭舞楽舞台諸図」(東京国立博物館蔵)は当日の図面であり、舞台の左右に楽屋と太鼓が配されている。⑾ 赤澤真理『源氏物語絵にみる近世上流住宅史論』中央公論美術出版 2010年⑿ 出光美術館『岩佐又兵衛と源氏絵 〈古典〉への挑戦』2017年・阿美古理恵「源氏絵の世俗化─伝菱川師宣画『おさな源氏』の成立背景」『学習院大学人文科学論集』17  学習院大学大学院人文科学研究科 2008年・阿美古理恵「野々口立圃編画『十帖源氏』における松永貞徳の影響─山本春正との比較を通じて」『哲学会誌』32 学習院大学哲学会 2008年⒀ 前掲注⑽赤澤氏書籍・野田麻美「狩野栄信筆 春秋山水花鳥図」『國華』1487 國華社 2019年⒁ 小野健吉『日本庭園の歴史と文化』吉川弘文館 2015年⒂ 紅葉賀の青海波場面の束帯装束姿の楽人も、「年中行事絵巻」巻5内宴の「妓女の舞御覧」に⒃ 『出光美術館紀要』5号(出光美術館 1999年)において紹介された。⒄ 前掲注⑵木下氏論文成五・人物画 大和絵系人物』講談社 1979年も左大将と菊が描かれる。見られる。

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