― 382 ―― 382 ―㉟ ミケランジェロ作《ヘラクレスとカクス》における多視点性の創出─素描《ヘラクレスとアンタイオス》からの発展と設置場所との関係─研 究 者:慶應義塾大学アート・センター 所員/学芸員 新 倉 慎 右はじめにミケランジェロが最後にフィレンツェに滞在した期間(1516-1534年)に制作された彫刻作品のうち、特に群像作品に関しては彫像の持つ多視点性について議論が続けられてきた(注1)。実際、ほとんど全ての先行研究において《ダヴィデ》の対作品計画に関わる作品、すなわち《ヘラクレスとカクス》(注2)〔図1〕及び《サムソンとペリシテ人》(ミケランジェロのモデルに基づく)(注3)〔図2〕が視点という切り口から取り扱われている。ミケランジェロ研究の大家トルナイ(注4)をはじめ、ワインバーガー(注5)や近年ではローゼンベルク(注6)らの研究を参照するならば、この問題に関する議論が長い期間行われてきたということが認識できる。実際、これらの作品には多方面から鑑賞されることを前提とされる造形が具わっているが(注7)、先行研究で主題となるのは視点誘導という先鋭的なシステムが組み込まれた《サムソンとペリシテ人》の方であり、《ヘラクレスとカクス》に関しては詳細に造形の視点が考察されたことはないといえよう。しかしこの作品と、1520年代前半の《ダヴィデ》対作品計画の最初期に描かれた《ヘラクレスとアンタイオス》の素描(注8)〔図3、4〕とを関連付けるならば、この段階でミケランジェロの多視点性に関する着想が、ねじれという造形言語を最大限に利用することで急速に展開したことが確認されるのである。本稿ではこの点に着目し、素描からモデルに至る造形の展開を視点という視座から考察する。それによりこれまでは別個に取り扱われることが多かった《ヘラクレスとアンタイオス》の素描と《ヘラクレスとカクス》との関連性が明確になるだけでなく、この時代のミケランジェロ作品の最大の特徴ともいえる肉体の強いねじれが、視点の創出と深く結びついているということが示される。ミケランジェロは、多視点性を持たない彫刻作品の制作に際しても鑑賞者の視点を考慮した着想を盛り込んでいるので(注9)、視点の問題に関してはかなり鋭敏な感性を有していたと考えてよい。したがって、視点について大きな展開を見せる《ヘラクレスとカクス》をこうした視座から考察することは、この時期の彼の作品の造形を問い直すことにも繋がるはずである。
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