鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 384 ―― 384 ―《ヘラクレスとアンタイオス》から《ヘラクレスとカクス》へる方向という3方向から鑑賞されうる造形が構想されているのである(注15)。この造形は、《ヘラクレスとカクス》〔図1〕にも引き継がれているだけでなく、人物像を上下に配置することによりヘラクレスの頭部を視認することができるようになった。これにより3つの主要な視点が完全に確保されたのである。次章で詳しく論じるように、この造形は《ヘラクレスとアンタイオス》における複数の主要観面という着想を発展させたものであると考えられる。そして《ヘラクレスとカクス》は、素描に見られる造形を、より設置場所にふさわしいものへと展開させていった結果としても見ることができる。ミケランジェロの作品における多視点性という文脈において、彼のもっとも先鋭的な着想を《サムソンとペリシテ人》〔図2〕の小ブロンズ像に見ることができる(注16)。当該作品ではもはや主要な視点と呼べるような角度が存在しない。なぜならば、どの角度から見ても一目で全ての重要な造形要素を把握することができないだけでなく、人物像の動作や造形モチーフ(注17)によって観面同士が接続されることにより、鑑賞者の視線は間断なく彫像の表面を動くように導かれる。これにより、鑑賞者は立ち位置を変更しながら次々と新しい造形を目にしていくことになるのである。これらの作品の中でも《ヘラクレスとカクス》は、ミケランジェロの多視点性に関する着想が初めて立体となった作例であり、やはり現実の視点が固定される素描よりも視点の扱いに対する熟慮の跡が見て取れる。そこで以下では、このモデルが素描からどんな着想を引き継ぎ、どのようにそれを発展させていったかを詳しく見ていく。ミケランジェロが作品の主題を、「ヘラクレスとアンタイオス」から「ヘラクレスとカクス」へと変更した正確な時期はわからないが、少なくとも両作品の造形から前後関係が明らかになる(注18)。というのも次に述べるように《ヘラクレスとカクス》は、設置場所の状況、すなわちその場所にある彫像を鑑賞者がどのような角度で目にするかということを、より正確に考慮した造形を有しているからである。それを理解するため、まず設置場所の状況を確認しておこう。予定されていた設置場所、すなわち現在バンディネッリの《ヘラクレスとカクス》が設置されている場所は、シニョリーア広場の南東の出口、パラッツォ・ヴェッキオの南西の角に当たる。ここに設置された彫刻へと注がれる視線は、彫刻の隣にあるパラッツォの正面入口へと向かう方向から考えて、大まかに分けて3種類想定することができる(注19)。すなわち大聖堂がある北側から広場に入ってパラッツォへ南東に

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