― 385 ―― 385 ―向かうルート、パラッツォの正面へ西側からアプローチするルート、そしてアルノ河がある南側からのルートである(注20)。この場所に設置された巨像は、一段高くなったリンギエラの上に設置されることでさらに遠方からの視認性が増し、近づくにつれて鑑賞者は彫像の威容に圧倒されることになる(注21)。大英博物館の《ヘラクレスとアンタイオス》の素描において、ミケランジェロが3方向からの視点を求めて造形を展開させていったということはすでに述べた。素描に描かれた造形のまま制作された彫像が現在バンディネッリ作品があるパラッツォ・ヴェッキオの南西角に設置されたと仮定すると、この造形の意図が理解できる。すなわち、ミケランジェロは鑑賞者の視線が彫像に注がれる上述の3方向に合わせて、視点を創出しているのである。素描に描かれた群像は、有名なアントーニオ・デル・ポッライウオーロによるブロンズ小像〔図6〕とは異なり、アンタイオスの顔はヘラクレスと正対していない。このことはヘラクレスの背後から視点では、彼の背中にアンタイオスが隠れ、主題や肉体表現を把握できないということを意味する〔図7〕。つまりミケランジェロはこの面を視点として考慮していないことになるが、それは主要な観面3つをそれぞれ想定される視線に合わせて設置した場合、この背面がパラッツォの壁面に向けられることになるからに他ならない。彫像とパラッツォの壁面との間には十分距離をとって作品を鑑賞できる空間はなく、この位置からの視点を考慮する必要はないとミケランジェロは考えたに違いない。そして《ヘラクレスとカクス》において、ミケランジェロはさらにこの設置場所に適した造形へと群像を変化させた。3方向からの視線に対応するという基本原理は維持しつつも、上部にヴォリュームが偏る「ヘラクレスとアンタイオス」ではなく敵を下に配置する「ヘラクレスとカクス」を主題とすることにより、リンギエラという一段高い場所に設置される彫像にふさわしい安定感を与えたのである(注22)。この変更は、バンディネッリによる大理石塊の粗彫りが原因であった可能性が高いが(注23)、いずれにしろミケランジェロは、主題変更を利用して設置場所が要求する視点を考慮した造形をさらに展開させている。《ヘラクレスとカクス》は、北側からの視線には右腕を大きく振り上げたヘラクレスの動作のダイナミズムを肉体のねじれ利用して示し〔図8〕、南からの視線には押しつぶされつつあるカクスが必死に抵抗する姿を見せている〔図9〕。そして西側からの視線に対しては、ヘラクレスがカクスを地面に押し付けるという上から下への動勢がもっとも明確に示され、まっすぐに伸ばされたヘラクレスの左腕がこの垂直軸を
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