― 386 ―― 386 ―補強している〔図10〕。素描からの変化が顕著なのがこの西側からの視点に対応した造形である。というのも、素描における最終段階と目される大英博物館の《ヘラクレスとアンタイオス》〔図4〕では、アンタイオスの頭部は完全にヘラクレスの反対側に向けられているわけではないし、それどころか上部に向けられてすらいる。リンギエラ上に設置された場合、アンタイオスの頭部は彼自身の肉体に隠れてしまい、かなり離れた位置からでないと頭部を確認できないはずである。したがって、素描では西側からの視線に対応する造形はまだ不十分であったということができ、そのためミケランジェロは主題変更を逆手に取りこの視点を充実させたと考えられる。この変更によって西側からは主題の主人公であるヘラクレスの顔を見ることができ、さらにその肉体が生み出すダイナミズムをも明瞭に知覚できるようになった。またこの視点は最終的にパラッツォに入ろうとする者が目にする視点でもあり、彫像直下に立った鑑賞者にヘラクレスが与える圧力は、その下向きの動勢も相まって恐るべき効果をもたらしたであろう。そして彫像の威容は、そのまま背後に控える市庁舎であるパラッツォ、すなわちフィレンツェという都市そのものの力を象徴するものとして受容されたのである(注24)。おわりにミケランジェロが《ヘラクレスとアンタイオス》に盛り込んだ3つの視点は、《ヘラクレスとカクス》において、主題の変更に伴い設置場所に完全に適合する造形によって実現されるに至った。先行研究ではこの主題変更の理由や政治的意図が考察の対象となることが多かったが、視点と造形の考察においても重要な意味を持つことが明らかになったといえる。また《ヘラクレスとカクス》において、3つの視点の創出が肉体の激しいねじれと深く関係しているということも見逃すことはできない。《ヘラクレスとアンタイオス》においては、アンタイオスが全身をねじっている一方でヘラクレスの肉体には大きな動きは見られない。ところが《ヘラクレスとカクス》におけるヘラクレスの肉体は、右腕を振り上げる動作によって強いねじれが生じている。そしてこのねじれは構図にダイナミズムを与えているだけでなく、上述のように直接的に彫像の視点を生み出す役割を果たしているのである。これまで、この時代のミケランジェロ作品における身体の強いねじれは、それが何を象徴しているかといったような、芸術家の内面との関わりで論じられてきた。他方、
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