注⑴仏像群は現在、南禅寺本堂に隣接する河津平安の仏像展示館で公開されている。⑵地方史研究所『伊豆河津郷・下河津』(1958)⑶久野健「平安初期における如来像の展開」(『平安初期彫刻史の研究』所収、吉川弘文館、― 30 ―― 30 ―【謝辞】ことから、大安寺が伊豆経営のため伊豆に拠点を持った可能性がある。大安寺僧は神仏習合において先駆的な役割を果たしたとされ(注16)、興味深いが、検討は今後の課題としたい。副島弘道先生、岩佐光晴先生には、それぞれの南禅寺調査に参加させていただいた際、多くのご教示をいただいた。特に岩佐先生には、本研究の構想に有益な助言を下さったばかりか、本助成研究へのご推薦を賜わった。ご期待に沿えたとは思えず、心苦しいが、心より感謝申し上げます。1974)⑷鷲塚泰光「伊豆南禅寺の平安仏」(『三浦古文化』29号、京浜急行電鉄株式会社、1981)⑸MOA美術館『特別展 伊豆国の遺宝』(1992)⑹東京国立博物館『特別展 仏像~一木にこめられた祈り』(2006)⑺注⑶久野論文、注⑷鷲塚論文、注⑸図録。以下の各像の従来年代もこの3論考による。⑻注⑷鷲塚論文。以降の諸論考もこれに従う。⑼「東アジアにおける木彫像の樹種と用材観に関する調査研究」(科学研究費助成事業研究成果報告書、2017、研究代表者・岩佐光晴)⑽寺島典人氏による。⑾津田徹英「書写山円教寺根本中堂伝来、滋賀・舎那院蔵薬師如来坐像をめぐって」(『仏教芸術』250、2000)⑿濱田恒志「広島・善根寺収蔵庫の諸像について(1)」「同(2)」(『美術史学』35、38、2014・2017、東北大学)⒀この時期の神階叙位を含む古記録と実際の火山活動の関係については、津久井雅志・斎藤公一滝・林幸一郎「伊豆諸島における9世紀の活発な噴火活動について」(『火山』51、2006)に詳しい。⒁小山真人は「日本の史料地震学研究の問題点と展望─次世代の地震史研究に向けて」(『地学雑誌』108-4、1999)において、六国史以降の東国に関する史料の激減を指摘、10~17世紀初めの地震研究(噴火を含む)は、記録減少に留意すべきであるという。⒂河津町教育委員会『南禅寺遺跡発掘調査報告書』(2014)⒃長坂一郎『神仏習合像の研究』(2004、中央公論美術出版)
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