― 417 ―― 417 ―(メトロポリタン美術館 フィッシュバイン・ベンダーコレクション)では、茎の棘や葉脈、蛙の描写を写実的に描きながらも、蓮の葉には金泥のたらし込みを施して抽象感を出しバランスをとっている。琳派のアイデンティティでもあるたらし込みが第1期から使用されている背景には、光琳百年忌および『光琳百図』の刊行に際して、其一がたらし込みという表現方法を吸収したことがあるのだろう。またこうした状況をふまえると、第1期から『光琳百図』に典拠を求めることができる作品が出現し、第2期以降には琳派の伝統的な画題を用いた作品が増加していることも自然に感じられる。そこでまずは、光琳の作品や版本の中の図、あるいは「光琳」を想起させる要素を作画に利用した其一作品を概観したい。其一が「光琳」を利用した作品としては、まず第1期の「群鶴図屏風」〔図2〕(ファインバーグ・コレクション)があげられる。本作ははじめ襖四面として制作されたが、『光琳百図』にある同様の図柄が「金泥 二枚折 屏風 一双 極彩色」と付記されることをふまえれば、『光琳百図』に着想を得ながらも屏風装を踏襲せず、襖四面に再構成していることが分かる。このような構図の転換は第2期の最初期に描かれた「三十六歌仙・檜図屏風」〔図3〕(個人蔵)にもみることができる。本作の典拠としては『光琳百図』ならびに光琳の「三十六歌仙図屏風」(メナード美術館蔵)が知られているが、二曲一隻の光琳作品に対し、其一は構図を八曲一双に転換しもう片面に檜図を描いている。この檜図についても『光琳百図』との強い関連性が指摘されていることからも(注11)、其一の作品制作にとって既に光琳が不可欠な存在であることが分かる。さらに歌仙図側の款記「倣緒方光琳筆意 噲々其一」によって、抱一没後間もない頃より、其一は師ではなく光琳を意識した作品制作を行い、それを顕かにしていたことが示されている。一方で「三十六歌仙・檜図屏風」と同時期に描かれた「桜町中納言図」(千葉市美術館蔵)は『光琳百図』をそのまま踏襲したパターンの作品になるが、ここでは光琳に倣う旨の款記はない。こうした事例からも、其一が敢えて「光琳」に倣ったと顕かにした背景には何らかの意思が介在していたと考えられる。また光琳との関係性を表明した作品としては、第3期の「富士図扇面(薄図下絵)」〔図4〕(出光美術館蔵)があげられる。本作は画面の中央に光琳作と伝える「富士図扇面」が貼り込まれたもので、岡野智子氏の指摘(注12)にあるとおり、其一は初めから扇面を貼り付けることをふまえて下絵を描いている。画中の落款が金泥で署名捺印されていることから、本作には光琳を顕彰する意味もあるのだろうが、其一が扇面
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