― 420 ―― 420 ―仏心寺において、朝顔の花の精が仏果を得て草木成仏するという願いを語っている。一方で「朝顔図屏風」の“本歌”となる燕子花にも「杜若」という謡曲が存在する。謡曲「杜若」は寛正5年(1464)には所演が記録された作品で、「燕子花図屏風」の着想源となった『伊勢物語』の東下りの段をふまえ、主人公である三河国八橋の杜若の花の精が業平の往時を回想し、「朝顔」と同じく草木成仏するまでを描いている。このふたつの物語はその展開が近似しており(注15)、また朝顔の花の精が“朝顔”という言葉が恋慕愛執のもとになると嘆く(注16)のに対し、「杜若」では恋に苦しんだ女が杜若の精となった謂れが語られる(注17)など、朝顔も杜若も苦しみを伴う恋慕になぞらえられている。こうした点からも両者には共通項があり、対となる関係性を持っていると考えられる。そして何より謡曲「朝顔」には「この花を御法の花になし給へ」、つまりこの花に仏果を与え、悟りの境地に至らせて往生させ給えと歌う場面があることに注目したい。其一が「燕子花図屏風」とその作者光琳への“返歌”に朝顔というモチーフを選択した理由には、描いた数多の朝顔を以て光琳への献花とする意図があったのではないだろうか。草花図を用いた光琳の追善については、これまで抱一の作品を用いた研究が主流であった。たとえば玉蟲敏子氏は「夏秋草図屏風」を取り上げ、その草花の背景にある銀色に着目し、「銀」が死者への追善や追憶と深く関係していることを示している(注18)。さらに描かれた草花について古典文学や和歌における意味を追求し、藤袴の花に「亡き人を思う」隠喩があることや、白百合の花は光琳の命日月である6月を暗示することから、「夏秋草図屏風」には光琳への畏怖と追善が込められていることを論じている。また今橋理子氏は抱一の「瓶花図」を取り上げ、瓶花に選ばれた花々が古典文学や和歌で持つ意味を探ることで、抱一が古典世界のイメージを借りて光琳への供花を描いたことを指摘している(注19)。こうした事例をふまえれば、抱一と半生を共にした其一にとって、草花というモチーフが持つ暗喩によって追善の意を示す手法は意識の内にあるものだっただろう。これらをふまえると、光琳の「燕子花図屏風」という本歌に対し、其一はアイコンとして「光琳」を想起させるに足る要素を残しながら返歌を制作したと推測できる。ここで其一が残した要素とは、即ち金地・群青・緑青という色彩設定、単一の花のモチーフ、そして燕子花の花のみで物語世界を想起させる留守文様的な構成である。そして其一は謡曲という“橋掛かり”を通して燕子花を朝顔に変えることで、絵師としての自分を支えた「光琳」という存在に対し追善の意を表しているのではないだろうか。本稿では「朝顔図屏風」が光琳のいる幽界と其一が生きる現世を繋ぐ“橋掛か
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