鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 422 ―― 422 ―参考文献千澤楨治・山地章三「其一画の展望」『MUSEUM』261号 東京国立博物館、1972年辻惟雄「鈴木其一試論」山根有三(編)『琳派絵画全集 抱一派』 日本経済新聞社、1978年玉蟲敏子「江戸後期の『西遊紀行』について─鈴木其一著『癸巳西遊日記』を中心として(上)」⑻玉蟲敏子「江戸後期の『西遊紀行』について─鈴木其一著『癸巳西遊日記』を中心として(下)」『MUSEUM』第362号 東京国立博物館、1981年、11~25頁⑼前掲注⑵ 横山氏論文、197~198頁⑽廣海伸彦「鈴木其一の光琳回帰─いわゆる草書落款時代を中心に」『出光美術館研究紀要』第23号 出光美術館、2018年、81~97頁⑾前掲注⑽ 廣海氏論文⑿サントリー美術館・姫路市立美術館・細見美術館・読売新聞社(編)『鈴木其一 江戸琳派の旗手』 読売新聞社、2016年、311頁⒀竹谷長二郎・北野克(編)『鈴木其一書状』日本書誌学大系38 青裳堂書店、1984年⒁伊藤正義(校注)『謡曲集』上 新潮日本古典集成 新潮社、1983年、395頁⒂「朝顔」・「杜若」ともに①僧が花の名所に赴き、②その名所に関した歌を詠むと、③花の精が出現する。さらに④花の精は仏果を得ることを期待し、⑤僧と故事を語るうちに、⑥草木成仏を遂げるという展開を持つ。⒃前掲注⒁『謡曲集』上より、「われは朝顔の花の精なるが かりそめもこの花を仏の前の手向け草となる人はなくて(中略)言は恋慕愛執の種となること 歎きの中の歎きなり」。⒄前掲注⒁『謡曲集』上より、「まことはわれは杜若の精なり 植え置きし昔の宿の杜若と 詠みしも女の杜若に なりし謂はれの言葉なり」。⒅玉蟲敏子『酒井抱一筆 夏秋草図屏風─追憶の銀色』 平凡社、1994年⒆今橋理子「追善の形象─江戸琳派の草花と<文学>」『東海大学紀要 文学部』66 東海大学文学部、1996年玉蟲敏子「江戸後期の『西遊紀行』について─鈴木其一著『癸巳西遊日記』を中心として(下)」小林忠「鈴木其一筆 三十六歌仙図」『国華』第1065号 国華社・朝日新聞出版、1983年河野元昭「鈴木其一の画業」『國華』第1067号 国華社・朝日新聞出版、1983年竹内美佐子「其一私論─落款編年と琳派回帰」名古屋市博物館(編)『琳派 美の継承─宗達・光琳・抱一・其一』 名古屋市博物館、1994年横山九実子「鈴木其一考─伝記及び造形上の諸問題」『美術史』第136号 美術史学会、1994年今橋理子「追善の形象─江戸琳派の草花と<文学>」『東海大学紀要 文学部』66 東海大学文学部、1996年高木彩「鈴木其一の花鳥画における博物図譜の影響─絹本掛幅画を中心に」『美術史研究』40 早稲田大学美術史研究会、2002年安田篤生「江戸時代における光琳像の変遷について(下―1)」『愛知教育大学研究報告』第54集 愛知教育大学、2005年高橋佳奈「鈴木其一『癸巳西遊日記』解題」『美術史論叢』22 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部美術史研究室、2006年『MUSEUM』第361号 東京国立博物館、1981年『MUSEUM』第362号 東京国立博物館、1981年

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