― 431 ―― 431 ―外の窟においても実現していない。つまり、これらの窟では、第57窟を参考とし△型設計を採用したが、描写方法を完全には模倣できなかったと推察される。そして、続く唐前期第2期以降、△型設計は採用されなくなる。6.唐前期第2期の千仏図樊氏らの論考で唐前期第2期に置かれる窟は、第431、329、386、220、371、331、332、333、334、335、338、339、340、341、342、242、211、77、321、372、71、75、68、202、205、96、387、448窟の28窟である(注18)。唐前期第1期諸窟と同様、窟の造営順に並べられたと推察される。第431、329、386窟は唐前期第1期以前から継続して造営された窟、第202、205、96、387、448窟は唐前期第2期以降も造営が続けられた窟とされる。〔表2〕に唐前期第2期の千仏図の特徴をまとめる(注19)。唐前期第2窟において、4体一組とする千仏図を採用したのは、第329、386、371、331、387窟の5窟である。これらの内、第371、387窟では2体一組とする形式が主体であり、その他の窟においても2体一組とする形式が大半である(注20)。2体一組となったことで、斜行方向は交差するようになり、格子型の視覚的特徴を示すようになった〔図5左〕。身光と内衣の色を2体ごとに変えることで2体一組をつくり出す形式が主流となり、身光と頭光による光背配色は示されなくなり、莫高窟で長らく用いられた千仏図の描写方法は消失することとなった。そして、第77、71窟では、同じ配色の趺坐仏のみを連続させる、組み合わせを有さない千仏図が登場し、千仏図の描写はさらに単純化していく。7.第220窟の千仏図唐前期第2期では、天井にのみ千仏図を配する窟が増加する。これは南北壁の一面に大画面の経変図が描かれたことに起因すると考えられる。第220窟の造営を境に、莫高窟では南北壁に大画面の経変図を配する窟が増加したことが知られる(注21)。第220窟では南壁に西方浄土経変図、北壁に薬師経変図を配する他、これまで西壁龕外に配置されることの多かった維摩経変図が東壁の入口左右に描かれるなど、窟内の様相が大きく変化した。第220窟では、天井と東壁北側の上部に千仏図が描かれている。天井の千仏図は後代の壁画に覆われているため一部しか確認できないが、配色の組み合わせは2体一組であった可能性が高い。東壁北側上部の千仏図は一段ごとに千仏図を1体ずつずらすというこれまでの莫高窟において例がない形式で描かれている
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