鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 432 ―― 432 ―〔図5右〕。1段ごとに趺坐仏の身光の配色を変えることで、斜めに趺坐仏を追っていった場合に2体一組が成立する。第220窟の千仏図は、莫高窟において2体一組で描かれた最初期の千仏図であると考えられ、この図の登場を契機に2体一組の千仏図が流行していったと考えられる。入口がある第220窟東壁では、門口の上部に倚坐形の如来仏を中心とする三仏図、門口の南側・北側に維摩詰経変を題材とする維摩と文殊の組み合わせの図、そし三仏図の北側、文殊図の上部に千仏図を配置する。千仏図と対となる三仏図の南側には、維摩図中の人物の手から出る雲の図が位置しており、雲の中で説法をする如来と2体の菩薩が描かれている。これは阿閦如来の浄土世界(妙喜世界)をあらわしたものとされ、維摩に付随する図である(注22)。一方、文殊図とその上部にある千仏図の間には山岳の表現があるが、これらの図の明確な繋がりは示されておらず、千仏図は壁面の空白を埋めるために描かれたようにも看取される。しかし、第220窟の各壁面が精緻な構図によって描かれていることを鑑みるに、何らかの意味を持って描かれた可能性は高く、文殊図の一部であった可能性も否定できない。妙喜世界と対であることからは、千仏図が浄土を示す図として認識されていたことは確かであろう。2体一組の千仏図が示す格子型の視覚的特徴は、趺坐仏が四方八方に広がるような表現と捉えることができる。それぞれが浄土の世界を有する趺坐仏を壁面に充満させることにより、窟空間に浄土世界を体現するという意図があったのではないかと考える。唐前期第2期諸窟では2体一組の千仏図が主流となり、その視覚的特徴の減衰に伴い、千仏図の重要性が失われていったとも捉えられるが、浄土世界を示すために、あえてこの描写が採用されたとも考えられよう。8.結論:千仏図に見る初唐窟の特徴本論では、初唐を2つの時期に分け、各期に描かれた千仏図の描写方法や設計、配置などに着目し分析を進めてきた。初唐前期(唐前期第1期)では、△型という発展的な描写表現を有する千仏図が登場した。△型設計の千仏図は第57窟西披を担当した画工により莫高窟に導入され、その他の窟にも影響を与えたが、その描写方法は完全には模倣されることはなかった。また、初唐前期では側壁と天井の境目が明確に表現されず、飛天も天井の上部あるいは西壁龕内に配置されることとなった。このことにより、側壁と天井に描かれた千仏図が連結した表現となり、窟全体をひとつの世界と捉えた空間が創出された。千仏図の設計および窟空間の変化は、窟内に浄土世界を体現するという造営思想によりもたらされたと考えられる。

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