鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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注⑴末森薫『敦煌莫高窟と千仏図:規則性がつくる宗教空間』法蔵館、2020。⑵末森2020、29-47。⑶末森2020、67-271。⑷唐の分期については、肥田路美氏の論考に詳しい。肥田路美『初唐仏教美術の研究』中央公論― 433 ―― 433 ―初唐後期(唐前期第2期)では、西方浄土図等の大画面の経変図が南北壁に描かれるようになった。千仏図は2体一組とする描写が主流となり、格子型の設計へと変化した。千仏図の描写方法が単純化したことにより、その視覚的特徴の役割は一見減衰しているようにも捉えられるが、それぞれが浄土を持つ仏を窟内に充満させるという意図のもとに採用されたと考えられる。唐前期第1期と第2期では、南北壁の構図などに顕著な違いが見られ、千仏図の描写方法や設計、配置にも変化が認められた。莫高窟に描かれた千仏図の伝統である配色による規則性という観点に立てば、初唐前期は「再変容期」、初唐後期は「終焉期」に位置付けられる。双方には大きな違いがあるようにも思われるが、浄土世界を表現する点は共通しており、初唐では浄土世界を体現した窟空間が好まれたことが理解される。初唐後期において千仏図の描写は大きく単純化するが、その役割の重要性が失われたわけではなく、浄土世界の示し方が変化したと捉えられる。美術出版、2011、15-21。⑸初唐(618年-704年)、盛唐(705年-780年)、中唐(781年-847年)、晩唐(848年-906年)とする。敦煌研究院編『敦煌石窟内容総録』文物出版社、1996。⑹樊錦詩・劉玉権「敦煌莫高窟唐前期洞窟分期」敦煌研究院編『敦煌研究文集 敦煌石窟考古篇』甘粛民族出版社、2000、143-181。⑺樊氏らは、唐前期第1期を隋末造営の第390窟(618年-624年頃)と唐前期第2期初期造営の第220窟(642年-662年)の間に、唐前期第2期の終わりを第217窟(705年-706年頃)の前に置く(樊・劉2000、148-150・158-159)。⑻例えば、八木春生「初唐期初期第五七窟、第三二二窟に見られる過渡的性格」『中国仏教美術の展開:唐代前期を中心に』法蔵館、2019(a)、11-42。⑼樊・劉2000、144。⑽天井は古代中国の「斗帳」を模ったとされ、一般に「伏斗形天井」と称される。中央に正方形の藻井(ラテルネンデッケ)を配し、そこから各側壁に向かって斜めに壁面(4披:東披・西披・南披・北披)が下りる。初唐窟の多くでは4披に千仏図が描かれた。なお、莫高窟の崖面は東側に面しており、東側が入口、西側が本尊の配置される窟奥部にあたる。⑾第203、204窟は初唐になり造営が隆盛した崖面、第373、375、381窟は隋窟が造営された崖面の延長に位置する。千仏図の光背配色が使い分けられている窟の造営位置が集中している点は石窟の造営順や工人・画工の系統を考える上でも示唆に富む。⑿末森2020、226-231。

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