⒄ 第60、203、204、373、287窟では、南北壁説法図の主尊が共に趺坐仏であり、千仏図の設計も南北で同一である。他方、第375、381、322窟では、南北壁説法図の主尊を趺坐仏と倚坐仏の組み合わせとし、千仏図の設計が南北で異なる。つまり、千仏図の設計によって、説法図の性格の違いをあらわしていたと考えられる。第57窟南北壁説法図中の主尊はともに趺坐仏であるが、宝池の有無など性格の違いが認められる。宝池が描かれた北壁の説法図は、その左右に同一方向設計の千仏図を配している。隋以前において同一方向設計の千仏図は窟内における礼拝を誘導する役割を担っており、第57窟北壁の千仏図は、阿弥陀を念じることにより極楽浄土にいくという礼拝者の能動的な姿勢を意図して描写されたとも捉えられる。― 434 ―― 434 ―⒀ 段文傑「唐前期の莫高窟の芸術」敦煌文物研究所編『中国石窟 敦煌莫高窟 第3巻』平凡⒁ 八木2019(a)、35-38。⒂ 天井と側壁の境目に天宮欄干や伎楽天を配さない構成は、隋第2期に既にみられる(末森⒃ 唐前期第1期の第322窟の南北壁には阿弥陀仏と弥勒仏の組み合わせが認められる。また、唐前期第2期では南北壁に西方浄土経変図と弥勒経変図の組み合わせが流行することが知られる(八木2019(a)、26-27)。⒅ 樊・劉2000、150。⒆ 第431窟は北魏末に造営が開始された窟であり、初唐の千仏図はない。第96窟は大仏窟であり、初唐の千仏図は確認されていない。また、第242、202窟では天井に千仏図が描かれているが、いずれも後代のものである。なお、第342窟天井に初唐の千仏図が描かれているが、調査時に入窟が制限されていたため、実地にて確認できていない。⒇ 第205窟では、3体一組とし、塔の中に入る独特な千仏図が描かれている。窟空間の中心に仏 八木春生「第二二〇窟に見られる大画面の西方浄土変相図の出現」『中国仏教美術の展開:唐代前期を中心に』法蔵館、2019(b)、43-81。唐前期第1期に造営が開始された第329窟の南北壁にも大画面の経変図が描かれているが、その形式から第220窟より遅れると考えられる。 敦煌文物研究所1981、247。図版出典図1、図5右・左:数字敦煌(Digital Dunhuang、https://www.e-dunhuang.com/)図2左:日本放送出版協会『敦煌 THE ART OF DUNHUANG』NHK出版、1992。図2右: 敦煌研究院・学校法人文化学園編『敦煌石窟1 莫高窟第二五四・二六〇窟』文化出版社、1981、179-193。2020、226-227)。壇を備えるなど、第205窟には特殊な点が多数認められる。局、2002。図3上:敦煌文物研究所編『中国石窟 敦煌莫高窟 第1巻』平凡社、1980。図3下: 中国敦煌壁画全集編輯委員会編『中国敦煌壁画全集1 敦煌北涼・北魏』遼寧美術出版社・天津人民美術出版社、2006。図4: 石璋如『莫高窟形』(中央研究院歴史語言研究所、1996年)に掲載される平面図と立面図をもとに、筆者作成。
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