― 441 ―― 441 ―(4) アリリェの聖アヒリオス聖堂ドラグティン王とミルティン王の献呈図(1296年)上部には「アブラハムと三人の天使」、西壁上部にはメダイオンに三人の聖人像、天上には「中世セルビアの公会議」の四場面が描かれる。二列に別れてはいるが、キリストへ導く役割は、祖先が行うという新しい構図となっている。聖母は描かれず、それに準ずる地位を祖先が担った表現となっている点が特徴的である。〔図5〕ドラグティン王は、礼拝堂だけでなく、独立した聖堂も建立した。長らく都であったラス(現在のノヴィ・パザール近郊)ではなく、北西約60km離れたアリリェという町に聖堂を建立している。それは、1282年に王位を弟のミルティン王に譲り、ベオグラードに移り北部地域を支配したためである。聖堂のナルテックス南壁に妻カテリーナと弟ミルティン王と共に直立で描かれる。聖堂の模型を持つ寄進者ドラグティンと十字架を持つミルティン王の間の上には半円形のメダイヨンに半身像のキリストが両手を上げている。右手でミルティンを、左手でドラグティンを祝福する。これまでの寄進者像は、玉座に座るキリストへ向かってお辞儀をするような姿勢で聖堂の模型を捧げていたが、これ以降はほぼ正面を向いて、目は上方のキリストを見上げる肖像画となっていく。彼らの足元には赤いクッションが見られる。ソポチャニ以降、ビザンティン皇帝の王冠と服装が用いられるが、それに加えて赤いクッションの上に立つ姿はまさにビザンティン皇帝そのものの肖像画といえよう。上部には「アレクサンドリアの聖ペテルスの幻影」というキリストの幻影が現れるという場面が描かれる。2 デチャニ修道院「ネマニャの樹」(1346-1347年)〔図3〕についてミルティン王の息子のデチャンスキ(在位:1322-1331)がネマニッチ朝の主要な成員と共に家系図として表現される。上部の半円形のメダイヨンには幼い姿のキリストがネマニッチ朝の人々に祝福を与え、その下で二人の天使がステマトギリオン型の王冠とロロスを彼らに捧げようとしている。この図像は、14世紀初頭に初めて登場し、垂直の「ネマニャの樹」と呼ばれる。これまで見てきたように平行に一列ないし、二列に並んだ寄進者群像が描かれた後に生み出された図像である。ネマニッチ朝の創始者ステファン・ネマニャを根として子孫が繁栄した様子を図化して装飾された。13世紀中頃から旧約聖書の登場人物エッサイ
元のページ ../index.html#453