“И ваистину благословен од светога свог племена, благословен изданак благословенога корена и красни цвет светог сада, многокрасни изгледом изнад синова човечијих...”「(ネマニャは)聖なる自身の一族からまさに祝福された。祝福された根の祝福された若枝と聖なる庭の美しい花であり、息子たちの上にあって姿においても非常に美しい」(注9)。― 442 ―― 442 ―から始まるキリストの家系図「エッサイの樹」〔図6〕の図像が西欧のみならずセルビアでも流行した(注7)。「ネマニャ」とは中世セルビア王国の創始者ステファン・ネマニャの名前からとった名称である。「エッサイの樹」でエッサイが樹木の株となるように、「ネマニャの樹」では創始者が株としての役割を担う。14世紀のセルビアの大主教で著述家のダニーロ2世は著書『ミルティン王の生涯』の中でネマニャについて以下のように記す。当時からネマニャは、「祝福された根」と表現され、子孫は「祝福された若枝と聖なる庭の美しい花」と称された(注10)。また、1264年に修道士で著述家のドメンティアン(1210-1264)は『シメオン伝記』の中でネマニャを「よき根の花」と称し、旧約の王ダビデと比較してネマニャの素晴らしさを讃えた(注11)。そのため、「エッサイの樹」に倣ってセルビア独自の家系図の図像を創造したことが伺える。「ネマニャの樹」は「聖別」、「永続の支配」、「選民思想」といった三点の意向を表すとラドイチッチは指摘する(注12)。つまり、王朝の創始者であり模範と考えられていたネマニャを植物の根底に据えることで彼の霊感が子孫全員に与えられ、それは子孫に萌芽をもたらす。また、この一族の永遠なる統治を「ネマニャの樹」で宣言しようとしているということである。キリストの家系図を借用することでセルビアの家系を「新しいイスラエル」とみいだそうとしていることが指摘される(注13)。聖なる血縁関係で結ばれていることを民に知らせようとしたと考えられる。この図像がつくられた時期、領土も広がり、かなり豊かになった頃である。ブルガリア王国やビザンティン帝国から嫁を迎え、大国と遠戚関係になることを推進した。また新興国のセルビア王国は大主教座から総主教座への格上げを試みた。当時の自国の存在意義と、確固とした宗教的基盤を確立するために立派な聖堂を建て、その中に王家の家系図を描くことで、王家を正統化しようとしていたといえる。このような政治的背景の下で作られた「ネマニャの樹」は王家の家系図でありながら、聖堂の外ナルテックスに位置する。また、王朝の成員は死後に列聖され、聖人と
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