― 443 ―― 443 ―して光背を描き加えるなどセルビア独自のルールを確立した。3 スラヴの土着信仰と狼行進このような絵画が描かれた中世セルビア王国におけるキリスト教の受容状況について振り返っておきたい。セルビア王国の領域でキリスト教の布教が始まったのは前述した通り9世紀後半であると考えられており、その後、ステファン・ネマニャの息子修道士サヴァが教会の組織化に努め、伝道師を育成し、精力的に布教活動を行った。最終的に1219年にセルビアは独立した正教会を獲得してサヴァは初代大主教となる。スラヴ諸国でキリスト教が布教された経緯について井上浩一は「近隣の文明国や一足早く文明と接触していた国々の宗教を受けいれる以外に、生存(国の存亡)を保証してくれる術がない」(注14)ことを指摘する。同様にスラヴの土着信仰(一般的には異教信仰というが、本稿ではあえて土着信仰と記す)からキリスト教へ改宗したロシアにおいてワーナーが「キリスト教を受け入れる方が政治的にも文化的にも国のためになる」(注15)と記述する。ロシアの民俗学者たちが19世紀の調査で公にしているようにキリスト教の受容は簡単なことではなく、何世紀にも渡り民衆から抵抗にあったという(注16)。セルビアにおいてもサヴァによる布教活動は容易ではなかったことが伝えられ、布教活動というよりは窓を直す方法や家畜の育て方について教授することでキリスト教の良さを伝えたという(注17)。キリスト教を受容する以前の土着信仰とは、スラヴ民族では自然神(大地、太陽、水、火)、また農耕や家畜の守護神など、生活に密着した神または精霊に対するものである。スラヴ神話はギリシア神話やローマ神話とは異なり、物語化されなかったために、不確かなことが多く、地域によって特徴が少し異なるが、共通して漠然とした存在である。それについてチャイカノヴィッチは「セルビアの土着信仰の核にあるのは信仰であり、その信仰の中核にあるのは祖先に対するものが多く、セルビア人の宗教は、実のところ、祖先崇拝に過ぎない」と主張する(注18)。そのため、スラヴ諸国ではキリスト教を受容してからも土着信仰が根強く、むしろそれをキリスト教の聖人と重ねて信仰するようになる。例えば、雷の神ペルーンを預言者エリア、動物の神ヴォーロスを聖ヴラース、豊穣の神クパーラを洗礼者ヨハネとして受け入れてきた。そのため、このユニークに混在した状況を二重信仰であると民俗学者たちは語る(注19)。他のスラヴ諸国と同様にサヴァが布教活動を行う際も民衆の大半は土着の神々を崇
元のページ ../index.html#455