注⑴ Цветковски, С., Портрети византијских и српских владара у манастиру Трескавцу, Зограф 31, 2007, pp. 153-⑵ プロパガンダとしての寄進者像について:Borgolte, M., Die Stiftungen des Mittelalters in rechts- 169.― 445 ―― 445 ―〔謝辞〕2019年8月にセルビア共和国およびマケドニア共和国の修道院・聖堂でフレスコ画の調査を行った。ここに謹んで謝意を表する。タイ人の葬儀の習慣はセルビア人の祖霊行進の習慣と内容的に同一である」と語る(注25)。つまり、土着信仰に基づいたこの祖先の行列または祖霊行進を行う習慣は、キリスト教以前の習慣であったために中世時代にも存在したと推測できる。土着の神を聖人に置き換えるのと同じく、寄進像というキリスト教の表現方法を死者である祖先への崇拝「祖先の行列」という形で置き換えたと言えるのではないだろうか。おわりに本稿では、中世セルビア王国時代に描かれた支配者の図像の変遷を辿り、その由来について考察した。13世紀に描かれた寄進者とその家族の図像は、「キリストと聖母の前で聖堂を捧げる寄進者」、「祖先の隣の寄進者」、「祖先と寄進者、配偶者、子孫」という平行に並ぶ行列であった。その上部にはキリスト伝および旧約の物語の図像「キリストの復活」「磔刑図」「聖母の眠り」「アブラハムと三人の天使」「アレクサンドリアの聖ペテルスの幻影」が配され、死と復活というテーマが付与される。それは寄進者像の下に己れが埋葬されることを想定したためである。14世紀に登場する王朝の家系図「ネマニャの樹」はキリストの家系図といわれる「エッサイの樹」に倣って縦に並んだ支配者の肖像画群で、創始者から霊感が与えられる形で永続的な繁栄を表している。これまでキリスト教の聖堂に描かれたキリスト教徒としての肖像画、またはビザンティン皇帝の模倣としての肖像画として語られてきた寄進者像研究に対して、キリスト教以前の習慣との関係性を導き出す試論を講じた。土着信仰についてはセルビアがキリスト教国であったために記録が少なく、扱う文献によって異なる内容が書かれるが、「祖先の行列」および「祖霊行進」という土着信仰の習慣は、墓所に描かれるテーマとしては最良の表現であろう。
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