― 34 ―― 34 ―④ジョン・エヴァレット・ミレイのファンシー・ピクチャーに関する調査研究─《あひるの子》と《長靴をはいた猫》を中心に─研 究 者:清泉女子大学大学院 人文科学研究科 博士課程 長 尾 順 子はじめに水辺に佇む幼い少女とその足元を泳ぐあひるたちを描いた《あひるの子》〔図1〕は、ジョン・エヴァレット・ミレイが《初めての説教》〔図2〕を皮切りに生涯にわたって精力的に描き続けたファンシー・ピクチャーの晩年の作例である。この作品は、これまでハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『みにくいあひるの子』(The Ugly Duckling, 1845)(注1)と結び付けられてきた。しかし、実際にはアンデルセンの童話に本作品に描かれているような少女は登場しない。本稿は、先行研究で指摘されてきた《あひるの子》とアンデルセンの童話との関係性を再考し、描かれた少女の意味について考察していくものである。1.《あひるの子》をめぐる諸問題:来歴、先行研究、制作目的、モデルこの作品は、1889年にロンドンの画廊トマス・マクリーンズ・ギャラリーで初めて公開され、まもなく造船業を営む美術コレクターのアーヴィング・M・スコットが購入したことでアメリカに渡った(注2)。その後、経緯や時期は不明だがイギリスに戻ったようで、松方コレクションを築いた松方幸次郎が1916年春から1918年秋にロンドンに滞在していたおりに、ミッチェル・ファイン・アート・ギャラリーにて購入した(注3)。しかし、彼が社長を務めた川崎造船所が昭和金融恐慌の煽りを受けて破綻したことで、多くのコレクションが売立を通して他者の手に渡ることとなる(注4)。《あひるの子》は売立に出されず、他のいくつかの作品とともに三井家出身の和田久左衛門の所有となった(注5)。その後、フジカワ画廊創業者の水嶋徳蔵の手に渡ったが、1975年に国立西洋美術館に寄贈され現在に至っている。この作品についての先行研究はほとんど国立西洋美術館によるもののみであり、活発な議論がなされてきたとはいいがたい。先述のように、貧しい身なりの寂しげな少女とあひるたちの存在がアンデルセンの『みにくいあひるの子』と関係づけられてきたが(注6)、最近では「少女の汚れた靴とアヒルの組合わせが有名なアンデルセンの童話を想起させるが、正確な主題は不明である」(注7)とされるにとどまっている。また、これまで本作品の制作目的や少女のモデルに関する情報などは明らかにされてこなかった。一次史料を調査した結果、制作経緯についての明確な記録は見当た
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