― 454 ―― 454 ―「祖国に祈る」〔図4〕「銃後の夢」〔図6〕「夢に通ふ」〔図8〕3〕には「地淡群青左上金泥又ハ金砂子」との記があり、これは単なる自然光の表現ではなく、聖なる存在として皇国を暗示したものであっただろう。「感謝」が銃後の祈りの図であるのに対し、「祖国に祈る」は前線の祈りを描いたものである。「祖国に祈る」と類似した作品はいくつかあり、ほぼ同時期の作と推測される「戦いのあと」(個人蔵)、「兵隊五人象ママ」(個人蔵)〔図5〕等がある。後者では左端の兵士が首から戦友のものと思われる遺骨を下げており、「祖国に祈る」でも、画面右端で膝を付く兵士の肩に描きこまれている。秋聲の作品には、戦友の遺体を埋葬する兵士たちの姿を描いた「護国の英霊」(1939年頃)等があり、従軍経験で人の死に立ち会った自身の実感から生まれた弔いの絵といえる。兵士たちが肩を寄せ合い野営地で眠る様子が描かれており、陸軍大臣室に納められた「虫の音」(1938年)〔図7〕と構図が近い。「虫の音」では後景に月が浮かんでおり、その月明かりのもとに兵士の眠りを描いている。月は単なる夜を表す記号ではなく、兵士たちが一日の勤めを果たしたことを意味したことは、画面中央に同じく月が描かれた「護国(御旗)」(1937年)について西條八十が読んだ詩「戦場の軍旗―『御旗』に題す―」の一節「戦やみて、月出でぬ、敵ははるかに退きぬ」からも理解される。国防館壁画では月の描写は省略されるが、代わりに、彼らが祖国にいる家族を夢見ていることが示される。ここでは、兵士の戦地での活躍を描きつつも、次の「夢に通ふ」と対の構成を重視している。こちらでは銃後の夢が描かれる。画面右側にいくに従って、鳥瞰した前線の様子が布団地にオーバーラップしていく。画面手前、幼子の枕元には2冊の雑誌(『講談社の絵本135 皇紀二千六百奉祝記念国史絵巻』(1940年)、判読し辛いが『講談社の絵本46 支那事変武勇談』(1937年)か)が置かれる。『講談社の絵本』は子供の愛国心育成に寄与した雑誌で、当時名だたる画家らが挿絵制作に携わったことが知られている(注6)。秋聲自身、『少年倶楽部』に「護国(御旗)」が掲載されるなど、戦時下で少年少女の愛国心を育むことを手伝っており、「夢に通ふ」でも卒のない描写に気を配っている。
元のページ ../index.html#466