鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 458 ―― 458 ―付記本稿執筆にあたり、松竹京子様、濱登久様、浅田裕子様、植田彩芳子様に御協力を賜りました。末筆ながら御礼申し上げます。国防館壁画は9図すべての下図が残っており(部分図のみ残されたものを含む)、本来すべての図版と資料の基本データを掲載すべきですが、新型コロナウイルス流行のため再調査が叶いませんでした。図版出典図1、2、4、6、8、9、10、12、13 記念絵葉書図3、14 筆者撮影図5 日南町美術館企画『小早川秋聲画集 秋聲之譜』米子プリント社、2000年図7 日展史編纂委員会編『日展史』13、1984年図11 『文藝春秋』16-1、1938年図15 日展史編纂委員会編『日展史』11、1983年は基本的に飾られる場所が想定された絵画一般のことを指す。壁画の概念については主に以下の文献を参照した。蔵屋美香「壁画とダブロ─ 1900-1940年代」木下直之編『講座 日本美術史6』東京大学出版会、2005年。⑵「美術家の眼にも映じた非常時 美術報告の一念」『大因伯』13-10、因伯社、1933年⑶秋聲の年譜は日南町美術館、松竹京子編「小早川秋聲年譜」(日南町美術館、2018年)が詳しい。国防館壁画については以下の記事を参照している。・ 「小早川秋聲氏 東京九段国防館壁画内示展 於京都華族会館」『詩と美術』3-1、詩と美術社、1941年・豊田豊「小早川秋聲氏の国防館壁画」『塔影』17-3、塔影社、1941年・「秋聲画伯の国防館壁画」『都市と藝術』299、都市と藝術社、1941年・「小早川秋聲画伯より」『都市と藝術』305、1942年⑷昭和15年度『遊就館年報』に献納式の写真が掲載されている。⑸松竹京子氏の御教示による(国立国会図書館憲政資料室蔵、副見喬雄関係文書)。⑹田中日佐夫『日本の戦争画 その系譜と特質』ぺりかん社、1985年⑺「戦争画」『文藝春秋』16-1、1938年。同文章の中で、秋聲は優れた戦争画の例としてヴァシーリー・ヴェレシチャーギン「戦争の結末(文中では「骸骨の丘」)」を挙げている。秋聲の戦争画には多様なものがあるが、骸骨の山という戦争の死そのものを強く意識させる「戦争の結末」が画家の念頭にあったことは、「國之楯」を考える際に重要かもしれない。⑻吉良智子『戦争と女性画家 もうひとつの近代「美術」』ブリュッケ、2013年⑼「祖国日向へ」『塔影』8-8、1932年⑽前掲注⑺「戦争画」⑾前掲注⑴蔵屋氏論文、林洋子「藤田嗣治の1930年代(1)裸婦と戦争画をつなぐもの」辻惟雄先生還暦記念会編『日本美術史の水脈』ぺりかん社、1993年。⑿「「戦争画」に就て」『財政』4-11、大蔵財務協会、1939年⒀「戦線従軍露滴」『財政』3-12、1938年

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