― 465 ―― 465 ―はないだろうか。いずれにしても上記2点は先行する複数の作品図様を生かしつつ、再構成を試みた穂庵にとって初期のアイヌ絵ではないかと考える。また、3点とも印章は、「平耘之印」(白文方印)および「穂菴」(朱文方印)の2顆で共通する。制作年は明治16年以前、明治15年が想定できるのではないだろうか(注14)。つぎに、「明治癸未」年紀から明治16年(1883)函館制作で季節や月が判明する作品を見ていく。2-2 明治16年制作のアイヌ絵「アイヌ(二)」(田口掬亭編『平福穂庵画集』日本美術學院、1935年、12頁)は上記した近似する2点のアイヌ風俗図に描かれている人物を抽出し、人物を反転、または所作や持ち物に変化をつけて再構成した作品である。横長の画面右端に落款「明治癸未夏巴濱客次 羽陰 穂庵芸」と「穂庵」(白文方印)および「平芸画印」(朱文印)の2顆がある。構図の類似は一目瞭然であるが、本作は水墨がメインであり、馬のたてがみや尾の毛並み、衣服の文様部分は滲みを生かして表現され、素早い筆遣いが想像される。同じく墨の表現力を発揮した明治16年夏の作品が「アイヌ家族団らんの図」(個人蔵)〔図5〕である。2曲1隻の貼り込み屏風である本作の右扇右上方には「癸未夏日巴港客中 羽陰 穂庵芸」の落款と、やや文字がつぶれているが「穂菴」(朱文方印)および「平芸画印」(朱文印)、左扇左上には「羽陰 穂庵芸」その下に「穂庵」(白文方印)および「平芸画印」(朱文印)の2顆が確認できる。「アイヌ(二)」と左画面の印章が共通している。この左画面の中心で鮭の入った樽を額と腰とでバランスを取りながら運んでいる女性は度々登場し、定型の1つとなっている。この樽を運ぶ女性の背後には「アイヌ図」(『平福穂庵画集』大日本絵画、1983年、作品番号23)で画面左端に描かれていた赤子を背負い、片手を袖に隠して口元にもっていく女性も描かれている。その背後にはこれまでにいなかった人物が登場している。やや白髪で口元に入れ墨があるため既婚のやや年配女性であり、彼女の傍らには子供が2人描かれている。右扇、画面中央左寄りには、横を向いて座す男性が描かれている。左手に天目台に置かれた杯を持ち、右手には棒酒箆(イクパスイ)を持つ様子から画面には祭壇は描かれていないが、アイヌの人々による神事の様子を描いていることが分かる(注15)。3点目、「愛奴歓舞」(文化庁蔵)〔図6〕は、右上に「明治癸未十一月巴港客中 応嘱寫 羽陰 穂庵芸」と「平耘之印」(白文方印)および「穂菴」(朱文方印)の2顆が確認できる。明治16年夏制作の2点とは異なる着色画であり、こちらは画面上部に祭壇が確認でき、多数の人々が集う儀式の様子が描かれている。このようなアイヌ独自の儀礼を描いた作品はすでに定型が流布しており、落款中に「応嘱
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