「故平福穂庵遺墨展覧会」(『美術新報』第1巻第7号、東西美術出版社、1902年6月20日)、「穂菴遺墨展覧会」(『絵画叢誌』第185号、1902年6月25日)ほかに記事あり。本遺墨展には平福百穂が出席しており、5月23日の午後2時から追善読経が行われたとある。― 469 ―― 469 ― この行李の中には多数の下図やスケッチブックが納められている。明治19年の上京以降が主だったものと思われるが、北海道にまつわるものとしては同冊子には鮭図のスケッチも納められている。今後の穂庵作品を考察する上で重要な資料である。 『函館新聞』1888年3月23日付に「○諸畫工の近状 四五年来當地へ漫遊せし畫工先生は多く謝辞作品調査にあたり、国立アイヌ民族博物館学芸員 霜村紀子氏をはじめ、北海道立函館美術館 星野靖隆氏、市立函館博物館 奥野進氏、旧相馬家住宅 東出伸司氏、秋田県立近代美術館 保泉充氏・鈴木京氏、仙北市角館町平福記念美術館 小松亜希子氏に多大なるご協力を賜りました。お名前の掲載を差し控えた皆様も含め、本研究にご助力いただきましたすべての皆様に末筆ながら謹んで謝意を申し上げます。明治17年の第2回展に「竹虎」、「蝦夷人酒宴」を出品している。同書の521頁および632頁参照。⒀沢田雪渓の現存作品については、「函湾全景 春」および「函湾全景 秋」(函館市中央図書館デジタル資料館参照。2020年5月9日アクセス)や未見であるが「鳥類画帖」(函館中部高等学校蔵)などにより、精密かつ写実的な描写が確認できる。⒁「アイヌ人風俗図」(個人蔵)(『没後130年 平福穂庵』秋田県立近代美術館、2019年、69頁。)においては落款印章より、明治15年11月の制作と判読できる。各場面が描かれた紙の大きさがやや小さいことから折帖などを改装したものか。初期の作例であり、熊送りの儀礼などが水墨淡彩で描かれている。⒂神送り図の作例および意味については、『アイヌの四季と生活 十勝アイヌと絵師・平沢屏山』アイヌの四季と生活点帯広実行委員会、1999年。⒃『平福穂庵画集』大日本絵画、1983年、243頁。弦田平八郎氏解説参照。⒄本作以外に『平福穂庵画集』日本美術學院、1953年。13頁掲載の「アイヌ(三)」も屏山「正月年礼図」と同様の構図である。⒅佐々木利和『アイヌ絵誌の研究』草風館、2004年、205頁。初出は佐々木利和「平沢屏山とアイヌ絵」『アイヌの四季と生活 十勝アイヌと絵師・平沢屏山』アイヌの四季と生活点帯広実行委員会、1999年、24~25頁。⒆前掲注⒅2004年、202頁。⒇越崎宗一「画家寄書帳から」『蝦夷往来』第14号、1935年、74頁。同頁中で「函館末廣町翁軒で売出した昆布菓子の包紙に穂庵筆のアイヌが昆布を採取併に乾燥してゐる有様写した石版刷りを私は最近見た」とも記している。東京に住居なる」とある。そのなかに穂庵と雪渓の名前が見える。
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