― 37 ―― 37 ―わいらしい靴をはいた猫に扮している姿を想定していたが(注19)、ミレイは少女のペットらしき猫に人形の靴を履かせるという表現をとった。『長靴をはいた猫』という童話を源泉としつつも、ミレイは物語の内容をそのまま描くのではなく、あえて本来童話には登場しない少女を配しその飼い猫に人形の靴を履かせたのである。ある特定の童話を主題としながらもその物語に関わりのない少女を描くという表現は、その後の《あひるの子》に通ずるものだといえる。ほかの童話や童謡を主題としたファンシー・ピクチャーにおいても、ミレイはその物語に必ずしも忠実ではなかったといえる。《シンデレラ》〔図8〕(注20)はペローの同名の童話(Cinderella, 1697)に基づいており、汚れた身なりの裸足の少女が箒を持っている姿は彼女がシンデレラだということをある程度想起させるが、彼女の被る赤い縁なし帽や左手に持つ孔雀の羽根のモチーフは、本来の童話に関係するものではない(注21)。《ミス・マフェット》〔図9〕でもミレイは興味深い試みをおこなっている。本作はナーサリーライムの「ミス・マフェット」(Little Miss Muffet, 1805)を主題としている。これは小さな丘の上でおやつを食べていた少女が突然現れた蜘蛛に驚いて逃げるという童謡で、一般的に挿絵には蜘蛛とそれを見て驚く少女が描かれる。しかし、ミレイの絵に蜘蛛の姿はない(注22)。少女と蜘蛛がいなければ成立しないこの主題で蜘蛛を描かないことは類を見ない表現である(注23)。このようにミレイは《あひるの子》以前にもある特定の童話や童謡を主題とした作品において、本来その物語には関係のない人物やモチーフを描いたり、反対に《ミス・マフェット》の蜘蛛のような必要不可欠のキャラクターを削除するなど、基となった物語に必ずしも忠実ではなかったといえる。これらに先行する童話を主題とした初期作品の《赤ずきん》〔図10〕では、赤いヴェールを被った少女の出で立ちから彼女が赤ずきんであることが比較的容易にうかがえる。すなわち、当初は童話にある程度忠実に描いていたミレイだが次第に登場人物やモチーフを追加、削除することで物語から逸脱した表現をとるようになったといえるだろう。当時こうした童話や童謡は一般に広く知られていたため、人々はミレイの作品の婉曲な表現を理解できたと考える。劇作家のフランシス・バーナンドによるこれらの絵に対する言及は興味深い。バーナンドは童話の長靴をはいた猫の一族はそろって靴を履くことが好きで、ミレイの《長靴をはいた猫》の猫もその子孫であり、そのことを知っていたミレイが猫に人形の靴を履かせたのだと空想力豊かに述べている(注24)。《シンデレラ》についても、彼女が左手に持つ孔雀の羽根は意地悪な義姉の豪奢な衣装から抜け落ちたもので、シンデレラがその美服のほんの一部として大切にしている
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