鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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研 究 者: 同志社大学大学院 文学研究科 博士課程(後期課程) 公益財団法人日本習字教育財団 観峰館 嘱託研究員 ノートルダム女学院中学高等学校 書道科 非常勤講師はじめに「唐様」とは、「和様」に対する言葉であり、広義には中国風のものを指す語である。狭義には「江戸時代に行われた中国風の書」を指し、日本書道史においては、江戸の書を特色付ける概念として、しばしば用いられてきた(注1)。日本の書が、常に中国書法との関わりの中で展開してきたことを踏まえるなら、中国の書を積極的に、あるいは選択的に受容した江戸の唐様は、日本書道史において極めて重要な位置にある。だが、江戸の唐様は日本書道史研究において、それほど重要視されてきたとは言い難い。例えば、角井博氏は江戸の唐様を「風雅にあそぶ儒者文人達の趣味の範囲を超えるものではなく、単に唐風崇拝からきた一種の気取」であるとし、結果的に、中国書法の「表面的な模倣に陥る危険性をまぬがれ得なかったのではないか」と述べている(注2)。このように、江戸の唐様は「中国の模倣に終始した取るに足らない書」という認識が、これまでの日本書道史研究においては支配的だったように思われる。ただ、江戸時代の著名な書家については米田彌太郎氏による研究があり、唐様・和様を問わず広く考察されている(注3)。とはいえ、米田氏の考察は史料の読解に基づくものであるため、江戸の唐様における造形に関する研究は未だ十分とは言えない。このような状況を踏まえ、本稿では、江戸の唐様を造形の面から捉え直してみたい。特に、江戸の唐様において草創期と位置付けられる北島雪山(1636~1697、以下「雪山」と表記)と細井広沢(1658~1736、以下「広沢」と表記)の書を主たる分析対象とする。彼らの書を分析することを通して、江戸の唐様がどのように展開したのか、その一様相を明らかにすることが、本稿の目的である。そのために、以下の手続きをとる。第1章で、先行研究を整理し、江戸の唐様における展開がどのように語られてきたのかを確認する。第2章で、雪山の書を取り上げて造形分析を行い、次の3点が混在していることを明らかにする。すなわち、①中国書法史において伝統派の書家と位置付けられる文徴明(1470~1559)の書と類似する― 483 ―― 483 ―㊹ 江戸の書に関する一考察─唐様の造形に着目して─根 來 孝 明

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