― 484 ―― 484 ―・ 上記の僧侶に、高玄岱(1649~1722)や林道栄(1640~1708)が書を学ぶ。②藤木敦直(1582~1649)門下の書・佐々木志頭磨(1619~1695)/寺井養拙(1640~1711)など。③雪山と広沢一派の書・門下に、平林淳信(?~?)/関思恭(1697~1766)/三井親和(1700~1782)など。・ 趙孟頫/文徴明を学ぶ伝統派と、張旭(?~?)/懐素(737~785)/米芾(1051~紙面構成・字形・線質、②革新派の書家と位置付けられる黄庭堅(1045~1105)に類似する線質、③和様の書と類似する線質、である。第3章で、雪山の弟子で、江戸の唐様における大家と目される広沢の書を取り上げ分析することによって、広沢は書体の別なく正統派・伝統派の書風を実践していることを明らかにする。以上のことから、雪山によって行われた唐様の書は伝統派・革新派の書風と和様的要素が混在するものであったが、広沢に至ってそれらを脱却し、正統派・伝統派の書風を強めるものとなったことを明らかにする。第1章 江戸の唐様に関する先行研究とその問題点本章では、考察を進めるための前提として、従来の日本書道史研究において、江戸の唐様がどのように語られてきたのかを確認しておく。ここでは、中田勇次郎氏の記述を参照してみよう(注4)。中田氏は江戸の唐様を次の4期に分類している。それぞれの時期区分と、各時期のトピックをまとめると、概ね下記のようになる。第1期:徳川家康(1543~1616)から徳川家光(1604~1651)の頃まで大陸との交通を断絶したため、朝鮮経由で唐様を学ぶ。第2期:徳川家綱(1641~1680)から徳川吉宗(1684~1751)の頃まで以下の3種に大別される。①隠元の来朝・帰化に始まる黄檗僧の書・ 隠元(1592~1673)/木庵(1611~1684)/即非(1616~1671)ら、中国出身の黄檗僧の来朝によって明時代の書風が流入する。第3期:元文(1736頃)から文化文政(19世紀のはじめ頃)まで・ 碑版法帖の舶載とその翻刻が大量に行われる。特に、趙孟頫(1254~1322)/祝允明(1461~1527)/文徴明/董其昌(1555~1636)のものが圧倒的に多い。
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