鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 486 ―― 486 ―田氏によれば、雪山は雪機(1628~?)、即非(1616~1671)、愈立徳(?~?)などから影響を受けたとする。すなわち、雪山は、中国人から直接に書法を学んだことが強調されて伝えられてきた。そして、その書法の淵源として、文徴明の名が指摘されることとなる。米田氏は次のように述べている。 雪山が尚んだのは、一概にはいえないが、文徴明のもっぱら羲之を奉じた遒麗(力強く麗しい様)なものではなく、晩年の黄山谷風のものでもない。極めて品位の高い、骨力のある、文徴明のもっとも優れているところのものを採っているように思われる。そして雪山は後になって、瑞図の自在の妙趣を取り入れている(注7)。さらに、和様の書を学んだ形跡があるとも述べた上で、「雪山は、唐様は唐様でも、日本的な個性のある唐様として、比類のない雪山一流の書をうちたてた」とする(注8)。とはいえ、前述の通り、これらの指摘は具体的な造形分析に基づくものではない。そこで本稿では、雪山の書を分析することによって、米田氏の指摘内容を再考してみよう。第2節 《独楽園記》の造形分析本稿では、この中でも「唐様書法を体得してからの作品」と評価される《独楽園記》〔図1〕(長崎歴史文化博物館)を取り上げてみよう(注9)。『独楽園記』とは、北宋の司馬光(1019~1086)が自らの庭園の命名について述べたものである。本作は、雪山がこれを一部略して書いたものである。落款に「元禄庚午端午雨中」とあることから、元禄3年(1690)、雪山55歳の筆跡と推定される。ここでは、雪山の書における造形的特質を考察するために、まず文徴明の《草書千字文巻》〔図2〕(東京国立博物館)と比較してみよう。《独楽園記》は、初めに題「独楽園記」と文の作者である「司馬温光」と書かれ、その次行から本文が書かれている。罫線は引かれていないが、各文字はほとんど垂直線上に置かれているため、罫線が引かれている文徴明《草書千字文巻》と同様、整然とした印象が紙面全体を支配している。次に、個々の字形を見ていこう。行・草書体が主体となっているが、各文字は均整のとれた形をとっている。例えば、本文1行目2字目の「叟」では、文字の下部には、左右に長いハライが2本書かれている。このため、文字全体が下方に広がる台形のよ

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