― 38 ―― 38 ―ものだと語っている(注25)。このような記述は、たとえ童話から逸脱した描き方がされていたとしても人々がその物語性を想起し、ミレイの作品と童話とを結びつけていたことを示唆しているだろう。晩年の《あひるの子》は、こうした物語を直接示さないという婉曲な表現方法の最たる例といえるのではないか。当時のヴィクトリア朝でアンデルセンは絶大な支持を得ていた。彼の童話は1846年に初めて英訳されると瞬く間に人々に受け入れられ、1870年までには少なくとも21種類もの童話集が出版されるなどイギリスでの名声は揺るぎないものであった(注26)。こうした当時のアンデルセン童話の知名度を考慮すると、『みにくいあひるの子』の物語は一般によく知られていたといえるだろう。ミレイが《あひるの子》に付けた原題(Ducklings)は、もはや童話のタイトル(The Ugly Duckling)と完全には一致していない。そのためこれ以前の作例のように作品タイトルから主題を容易に理解できるわけではなく、その婉曲さは一層増している。しかし、当時の人々はこの少女を「あひるの子」と同一視できていた。たとえば『ぺル・メル・ガゼット』は「ミレイは我々に、少女を4番目のあひるの子だと思わせたかったのだろう」と述べている(注27)。この絵とアンデルセンの童話を直接関係づけている一次史料は現時点で確認できていないものの、こうした記述は少なくともこの絵を見た人々が少女とあひるの子たちを結びつけていたという傍証になる。これは本作の原題からもうかがえることだ。先述のように、ミレイの付けたタイトルはDucklingsと複数形である。本作品の主人公は明らかに少女であるにもかかわらず《あひるの子たち》というタイトルが付けられていることからは、この少女自身もそれに数えられていると考えられるのではないだろうか。おわりに本稿では、先行研究を踏まえながら《あひるの子》とアンデルセンの童話との関係性を再考した。ミレイの童話や童謡を主題としたほかのファンシー・ピクチャーとの比較を交えることで、本作はそれ以前の作例に比べて物語からの逸脱が一層高められていると考えた。もはやタイトルは童話のそれと完全には一致しておらず、作品の主役は童話に登場しないはずの少女である。《あひるの子》と《長靴をはいた猫》は童話に関わりのない少女が描かれている点で類似しているが、後者の少女はあくまで少女自身として存在しており、長靴をはいた猫と重ね合わされているわけではない一方、《あひるの子》の少女は文字通り彼女自身があひるの子と重ね合わされているといえるだろう。実際、ヴィクトリア朝の人々はこの少女をあひるの子と同一視してい
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