鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 488 ―― 488 ―いう点で、米田氏の指摘するように「日本的な個性のある唐様」と言えるだろう。では、雪山に続く唐様書家と位置付けられる広沢の書も、同様の造形的特質を持つと言えるのだろうか。次章で検討してみよう。第3章 広沢の書における造形的特質本章では、まず、日本書道史において広沢がどのように位置付けられているか確認する。次に造形分析を行い、広沢の書がどのような造形的特質を持つものであるのか考察してみよう。第1節 日本書道史における広沢の位置付け広沢は、雪山の唐様書法を引き継ぐ書家として、日本書道史上に位置付けられている。雪山に書を学び、書に関する言説を多く残した広沢は、江戸時代における唐様書家の大家と称されてきた。ここでは、まず広沢の著作を確認することを通して、雪山と広沢の関係性を見てみよう。享保9年(1724)刊の『紫薇字様』において、広沢は雪山を「古今非常の人」として称揚している〔図11〕。また、執筆法の解説には「二山一脈把筆図式」と記している。ここでの「二山」とは文徴明(号:衡山)と北島雪山のことを指している。つまり、広沢の執筆法が、中国の文徴明から雪山を経由してもたらされた正統的なものだと主張しているのである。このように、広沢は、自身が雪山の系譜に存在する書家であると述べることによって、自身の書もまた正統的なものだと主張しているのである。従来の研究においては、上述したような広沢の著作を読み解くことを通して、江戸時代における唐様の実情を解き明かそうとしてきた(注10)。だが、広沢の書は雪山の書と造形的にどのように異なるのか、検討されたことは少ないと思われる。したがって、広沢の書がどのように歴史的に位置付けられるのかについても、未だ検討の余地がある。第2節 《西湖十景》の造形分析本稿では、広沢の書における造形を検討するために、彼の代表作である《西湖十景》〔図12〕(東京国立博物館)を見てみよう。《西湖十景》には、明の張寧(?~?)が西湖の風景を詠んだ詩10首が書かれている。まず、「西湖十景」という題を篆書で書き、その後に詩の作者である長寧について、行・草書体混じりに書かれている。次い

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