鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 489 ―― 489 ―で、漢詩が楷・行・草・隷書体で書かれていく。雪山の《独楽園記》と同様、紙面に罫線はないものの、各文字は垂直線上に並べられ、紙面全体は整然とした印象を鑑賞者に与える。本稿では、前章での分析を踏まえて、まず行・草書体で書かれた部分を分析してみよう。《西湖十景》には、「生」や「有」のように、文徴明と共通する字形を持つ文字が少なくない〔図13〕。このような造形から、広沢が雪山と同じように、文徴明の書風を志向したことが窺える。だが、雪山と異なる字形と線質が、《西湖十景》には確認できる。3首目「花港観魚」・4首目「柳浪聞鶯」〔図14〕から、2行目5字目「前」〔図15〕を見てみよう。2画目から大きく左へと筆が動き、1回転して右方向へと戻ってくる。雪山の「前」〔図3〕と比べれば、やや不安定な造形に見える。だが、左方向に大きくせり出した部分と対応するように、「刂」をやや下方に位置させることによって、雪山とは異なる方法で文字が安定している。このような造形感覚は、雪山の書より複雑なものである。だが、《西湖十景》においては、このような造形感覚が通底しているように思われる。例えば、楷書部分から「静」〔図16〕を見てみよう。4画目の横画は左に大きくせり出し、それに対応するように、最終画の縦画が長く下へと伸びている。このように、均整のとれた造形感覚は、唐時代の楷書と共通するものである〔図17〕。唐時代の楷書は、中国書法史においては、最も完成された正統派の楷書であるとされる。すなわち、広沢の書では、書体が異なっていようとも正統派・伝統派の書風を実践していると言える。また、雪山の書に見られた線の揺らぎは、広沢の書においては見られない。「黎」〔図18〕では、横画が長く左方向へとせり出しているものの、筆圧を概ね一定にしつつ、肥痩の少ない線が引かれている。このことから、雪山の「楽」〔図9〕に表れた和様的・革新的な書に淵源を持つ揺らぎは、広沢には引き継がれていないと思われる。《西湖十景》における線質は、過度に揺れるものではなく勢い良く運ばれた筆によって自然な肥痩が生じたものとなっている。《西湖十景》では、漢字5書体を使い分けて書かれている。それらの書風は、概ね中国書法史における正統派のものであると言って良いだろう(注11)。すなわち、広沢は、あらゆる書体において、正統派・伝統派の書風を徹底しようとしているのだと言える。雪山の書に混在していた、黄庭堅のような革新派の書風や和様と類似する線質は、広沢の書においては排除されている。すなわち、中国人から雪山へと伝えられた書法

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