― 491 ―― 491 ―・本阿弥光悦《赤壁賦》:『和様の書』東京国立博物館、2013年・張瑞図《草書孟浩然詩巻》:東京国立博物館画像検索・黄底堅《松風閣詩巻》:『黄庭堅集』二玄社、1989年・『紫薇字様』:西川寧編、『日本書論集成』第1巻、汲古書院、1978年・細井広沢《西湖十景》:東京国立博物館画像検索・柳公権《玄秘塔碑》:『玄秘塔碑』二玄社、1988年・褚遂良《孟法師碑》:『孟法師碑』二玄社、1988年図版出典・北島雪山《独楽園記》:高橋利郎『江戸の書』二玄社、2010年・文徴明《草書千字文巻》:東京国立博物館画像検索⑽これまでに広沢を取り上げた論考としては、以下のものがある。①三村淸三郎、「細井廣澤」『近世能書伝』二見書房、1944年。②佐佐木杜太郎『細井廣澤の生涯』満願寺、1983年。③森銑三「細井広沢」『森銑三著作集』第4巻、中央公論社、1989年。④米田、前掲論文、⑤鈴木晴彦「細井広沢考─『観鵞百譚』を中心に─」『書学書道史研究』第21号、書学書道史学会、2011年。⑾ただし《西湖十景》においては、篆書体には小篆と古文の字形が混在する、隷書体には漢の隷書体よりも安定感に欠けるなど、正統派を志向しつつも、技法的には不十分な部分もある。⑿ただし、広沢の書を目にすることが出来たのは、当時の武家階級を中心とした、教養人たちであったと思われる。神田喜一郎氏は広沢の唐様書法について、「この新しい書法は、雪山のすぐれた弟子である細井広沢によって、少なくとも当時のインテリ層の間に、たちまちの間にひろがった」と述べている。神田喜一郎「江戸時代の唐様について」『Museum東京国立博物館研究誌』第31号、東京国立博物館、1953年、12-14頁を参照。⒀三井親和については、拙稿「三井親和の書について─18世紀における唐様書道の展開に関する考察─」『公益財団法人日本習字教育財団 学術研究助成成果論文集vol.3、公益財団法人日本習字教育財団、2017年、138-176頁を参照。⒁良寛については、拙稿「良寛の書をどう見るか─線質の検討を中心に─」『美術フォーラム21』第39号、醍醐書房、2019年、82-88頁を参照。また与謝蕪村については、下野健児「与謝蕪村の書法─その俳諧の書についての一考察─」『花園大学国文学論究』第24号、花園大学国文学会、1996年、1-22頁を参照した。比較図については、引用図版を用いて筆者が作成した。http://www.nmhc.jp/museumInet/prh/colArtAndHisGet.do?command=view&number=145063(2020年5月13日アクセス)を参照。https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0035380(2020年5月18日最終閲覧)https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0067490(2020年5月18日最終閲覧)https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0043879(2020年5月18日最終閲覧)
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