― 495 ―― 495 ―㊺ 旅と信仰の絵画─名所風俗図から東海道図屏風へ─研 究 者:栃木県立博物館 学芸企画推進員 久 野 華 歩はじめに本研究は、主に16世紀から17世紀にかけての名所風俗図を特徴づける構成要素として、在地景観の中の旅人に注目し、そこに表象される中近世景観絵画の旅と信仰の交差を探るものである。16世紀から17世紀という時期には、連歌師らによる名所歌枕の情景の実際をつづった旅の記録や、霊地参詣を誘うための参詣曼荼羅が生みだされている。参詣曼荼羅研究においては、描かれている人物風俗が共通するなど、名所風俗図を中心とした近世初期風俗画との関連が指摘されている(注1)。しかし、参詣曼荼羅との大きな相違は、名所風俗図は霊地参詣の絵画であると同時に、参詣に付随する遊覧・行楽、さらには遊楽の姿も豊かに描き出しているということである。参詣曼荼羅において霊地へ向かう参詣者がその機能を決定づけるように、名所風俗図においても描かれている旅人の姿は、和歌及び神仏の物語が蓄積した景観イメージへの信仰を表わすものであり、かつ実感的な旅への時代的気運を示すものと理解できよう。本稿では、「東海道往来図屏風」(奈良県立美術館蔵)〔図1〕と「三保松原・厳島図屏風」(静岡県立美術館蔵)〔図2〕を取りあげ、富士参詣曼荼羅から東海道図屏風にわたる旅と信仰を見通し、その特色を探っていく。「東海道往来図屏風」における霊山富士を浜辺や舟上から仰ぎ遥拝する旅人の姿が富士信仰を背景とすることは無視できず、この意味で、富士参詣曼荼羅の一部分の表現と類縁する。そして、静岡県立美術館本「三保松原・厳島図屏風」のうち三保松原図は、より街道図の様相に傾くもので、東海道図屏風の断片ともみなせる趣がある。これらの考察により、名所風俗図を参詣曼荼羅と街道図との接点として位置づけることで、中近世景観絵画の展開を包括的に捉える試みとしたい。1、「東海道往来図屏風」(以下、奈良県美本と称する)16世紀中頃から後半 166.2×382.6cm 六曲一隻 奈良県立美術館蔵a.描写内容と表現画面右に三保松原、左に富士山と清見関、清見寺が描かれている。第一扇から第三扇の中央に横たわる三保松原は、細い松樹が地を這うように立ち並び、一部は交差して描かれている。松樹の幹には輪郭線はなく、胡粉で点苔が表される。第一扇の松原
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