鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 497 ―― 497 ―もあり、旅人のほかにもさまざまな在地の生活者の風俗がみてとれる。c.富士見の旅とりわけ本稿で着目したいのは、富士見をする人々である。画面中央部の浜辺には、富士山を仰ぎ見る僧が二人おり、一人は笠をとって感慨深げに見入っている〔図1-ヘ〕。その右側には、浜風に破れ傘を飛ばしてしまった僧がおり、それを見たもう一人は飛ばすまいと傘を抱え込んでいる。彼らもまた、浜辺での富士見にやって来た者たちである。高野聖や六十六部も浜辺へ向かっている。富士山を仰ぐ僧らの左側には、座り込んで休憩しつつ景色を楽しむ者がおり、その左手にも浜を目指す俗人の二人連れがいる。そして海上には富士見遊覧の舟が二艘あり、第三扇の舟では人々は富士山に向かって手を挙げるしぐさをしている。第五扇に描かれた舟は、富士山の目の前に陣取り、その中の一人の僧が数珠を手に拝んでいる様子が認められる〔図1-ホ〕。こうした富士見の旅については、泉万里氏が15世紀から16世紀の記録を基に考察している。当時の人々にとって富士見の旅とは富士遥拝の旅、すなわち富士参詣と意識され、足利将軍をはじめ都の文化を担う人々が富士見の旅を繰り返していたという(注4)。泉氏は特に、駿河湾での舟上の富士見の記述が多くの旅日記から見出せることに注目し、元信印「富士曼荼羅図」(静岡県・富士山本宮浅間大社蔵)に描かれた駿河湾の富士見の舟も富士参詣の諸相の一つとして表されたものと指摘する。加えて、「富士浅間曼荼羅図」(静岡県・富士山本宮浅間大社蔵)にも富士見の舟が描かれており、信仰絵画である富士参詣曼荼羅の諸本の中には富士遥拝のイメージを持つ富士見の舟が確認できるのである(注5)。奈良県美本に立ち返ると、ここでの浜辺や舟上からの富士見の様子もまた、風光明媚な景色を楽しむだけでなく、富士信仰に基づく富士遥拝を主眼としていることがうかがえる。とりわけ、第五扇の舟上にて数珠を持ち富士山を拝む僧の図像は、その信仰の証を象徴するものである。また、「富士浅間曼荼羅図」は他の富士参詣曼荼羅諸本に比べて東海道の往来風俗の描写に富んでおり、浜辺での富士見や休憩の様子なども含めて、奈良県美本の描写と類縁性を持っている(注6)。参詣曼荼羅は同時代に発展した近世初期風俗画と人物図像を共有し、またその制作工房を同じくすると考えられる事例も報告されている(注7)。このことを踏まえると、明らかな富士遥拝を描く奈良県美本と富士参詣曼荼羅との近接は、近世初期風俗画と参詣曼荼羅とが近しいものであったことをさらに裏付けるものであろう。d.16世紀の富士名所風俗図の諸作例との比較以上のように、奈良県美本は富士山、三保松原、清見寺、清見関を配する富士山周

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