鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 498 ―― 498 ―辺の名所絵として構成されながらも、東海道の往来を描くことに眼目を置き、さまざまな風俗の人物図像が描き込まれ、さらには富士信仰を背景とした富士見の旅の姿までも捉えている。このことは、富士名所風俗図の中でも際立った特徴である。たとえば富士三保松原を描く屏風の現存最古とされる「富士三保松原図屏風」(静岡県立美術館蔵、16世紀)(注8)の人物風俗をみると、製塩、漁労、富士見と思われる舟、荷を運ぶ人、女性と侍女、巡礼者、旅人の男性といった限定的な図像から構成されている。画面を往来人物で賑わせる奈良県美本に比べ、「富士三保松原図屏風」における必要最低限の人物図像の役割とは、概念的な名所絵世界を形成させる景物の一つといえる。また、16世紀頃とも17世紀前半とも推定される「富士三保松原・天橋立図屏風」(個人蔵)(注9)があるが、その傾向は「富士三保松原図屏風」と同様である。これらに対して、人々の旅の往来に重きを置いた奈良県美本の類例としては、小田原の町と箱根越えの峠を描くものと推測される「富士見図屏風」(個人蔵、16世紀)があげられる(注10)。多様な風俗の人物が道を行き交い、また舟で行き来し、峠では茶屋で一服しつつ富士山に向かって手を伸ばし遥拝する姿は、奈良県美本と重なり合うものである。しかし、奈良県美本が定型的な名所絵の構成の中に往来する旅人を描くのに対して、「富士見図屏風」では富士山自体は小さく遠景となり、町や港の賑わいと往来する人々の旅の様子を描く風俗画としての側面が強く現れている。このことは、次に考察する静岡県立美術館本「三保松原・厳島図屏風」につながる指向を示していよう。2、「三保松原・厳島図屏風」17世紀前半から中頃 各156.8×356.6cm 六曲一双 静岡県立美術館蔵三保松原図と厳島図の組み合わせによる名所風俗図であるが、ここでは三保松原図のみをとりあげる(以下、静岡県美本と称する)。a.描写内容静岡県美本は、東海道に沿った富士川から府中宿周辺までの景観を一画面に捉える。この構成は三保松原を描く名所風俗図としては特異であり、近世に展開する東海道図屏風の断片ともいえる。ちなみに、対になる厳島図は定型的な厳島の名所風俗図の様相から逸脱しないものである。第一扇は富士川よりはじまり、川を越えるとまず蒲原宿がある。奥には蒲原御殿と思われる建物が描かれている。続いて由井宿があるが、宿場と宿場の間は実景的な距

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