鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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⒅ The Times, 22th. Nov. 1899, p. 7.⒆ これは当時流行していた子ども仮装舞踏会での仮装を想起させるが、「長靴をはいた猫」の実際の仮装は主に男児向けだったようである。Ardern Holt, Fancy dresses described; or, what to wear at fancy balls, 5th edition, London, Debenham&Freebody, 1887, p. 249; The Daily News, 28th. Mar. 1893, p. 2.⑾ The Illustrated London News, 30th. Mar. 1889, p. 408. 邦文は拙訳。⑿ Holly Leaves, The Illustrated Sporting and Dramatic News Christmas Number, 7th. Dec. 1889, p. 3; The ― 40 ―― 40 ―⑺ 陣岡、前掲書、94頁。⑻ そのうち、『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース(The Illustrated London News)、以下ILN』および『グラフィック(The Graphic)』の付録となった6点のファンシー・ピクチャーについては以下を参照されたい。拙稿「J.E.ミレイのファンシー・ピクチャーと挿絵入り週刊新聞―『ILN』と『グラフィック』を中心に―」(『清泉女子大学大学院人文科学研究科論集』第24号、2018/19年)、59-88頁。⑼ 1887年に《ポーシャ》(1886年、ニューヨーク、メトロポリタン美術館)が、1888年に《パンチネッラ》(1886年、所在不明)がそれぞれ付録となった。これらが同紙のクリスマス号の付録となっていたことも、これまで指摘されてこなかったことである。なお、この2つの作品についても新聞社の注文制作か否かという明確な記述は見当たらなかった。The Illustrated Sporting and Dramatic News, 26th. Nov. 1887, p. 294; Holly Leaves, The Illustrated Sporting and Dramatic News Christmas Number, 1887, p. 35; The Illustrated Sporting and Dramatic News, 8th. Dec. 1888, p. 2.⑽ Holly Leaves, The Illustrated Sporting and Dramatic News Christmas Number, 7th. Dec. 1889, p. 3. 新聞社からの注文制作である場合、原画の制作年の翌年のクリスマス号の付録となることが多く、反対に注文制作ではない既存の作品を付録とする場合は原画の制作年から数年の間が空くこともあった。現時点で執筆者が確認できている付録の原画となったミレイの作品のなかでも、《あひるの子》は原画の制作年のクリスマス号の付録となっている点で例外的である。Morning Post, 25th. Mar. 1889, p. 5; The South London Press, 23th. Nov. 1889, p. 10ほか。⒀ The Leicester Chronicle, 30th. Mar. 1889, p. 9. 邦文は拙訳。⒁ A. Smith, et al., Millais, exh, cat, London, Tate Publishing, 2007, p. 184.⒂ ⒃ H. C. Andersen, translation by C. Peachey, Danish fairy legends and tales, London, Henry G. Bohn, Ibid., p. 185.⒄ ⒇ この作品の図版は、これまで先行研究やインターネットのデータベースにおいてシンデレラが向かって左側に腰かけ、左手に箒を持つ向きのものが流通していた。しかし、所有者であるロイド゠ウェバーのコレクション展(2003年)の図録の図版がそれとは逆向きになっていたことから、執筆者は図版の整合性を調査した。その結果、複数の一次史料に掲載されたスケッチや写真、ジョン・ギル・ミレイの著書の図版などもすべてコレクション展のそれと同じだった。また、クリスマス号の付録となった複製版画はすべて原画を反転させることなく印刷されてい1861, p. 24, 25.Ibid., p. 25. 邦文は以下の文献を参照した。ハンス・クリスチャン・アンデルセン、大畑末吉訳『完訳アンデルセン童話集2』、1984年(改版)、岩波書店、142頁。この童話がイギリスで最初に翻訳されたのは1846年だが、執筆者は現時点でその文献を直接確認できておらず、本稿ではキャロライン・ピーチーの翻訳による1861年刊行のものを参照した。

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