― 509 ―― 509 ―なる8月16日(金)~18日(日)の間に年中行事(ngan pracampi)が行なわれており、平常時よりも多くの参拝者が訪れていたことも付記したい。4─1.調査結果(インタビュー調査)アヌクーン・パンヤーコーン師(以下、住職)へのインタビュー調査は8月18日(日)の朝に行なった。まず、「設問1.タイでは昔から壁画によって地獄をあらわしてきたが、なぜワット・パイローンウアでは立体像によってあらわしているのか。なぜ壁画を用いていないのか。」に対しては、「明確さをもって、様々な次元から相手によりきちんと伝える(ため)」という回答が得られた。次に、「設問2.ワット・パイローンウアでは、『職人(chang)』によって立体像がつくられていると聞いたが、その『職人』とはどのような人物であるか。日当などを与えているか。」に対しては、「寺院の門弟(luk sit wat)」が担っているという回答を得た。また、報酬は食事で賄っている。「設問3.餓鬼の立体像をつくる時、図像などから着想を得ているか。たとえば、本や漫画など。またそのイメージは職人によるものなのか、住職によるものなのか。」に対しては、「『プラ・マーライ』経典の紙折本(samut khoy)」が挙げられた。『プラ・マーライ』経典は、「マーライ尊者という神通力(特に他界へ移動したり飛行したりする神足通)を備えた長老が地獄および天界を巡る物語」(注6)であり、その写本に描かれた挿画は、タイにおける地獄イメージの形成に大きく寄与した。なかでも桑紙を用いた紙折本は19世紀になると数もたくさんつくられるようになったが、近代化に伴い20世紀半ばには作成が廃れていった(注7)。今回の調査では、住職のご厚意により『プラ・マーライ』経典の紙折本を実見する機会を得た〔図2、3〕。通常、桑紙を用いた紙折本についてサムット・コーイと称するが、今回筆者が実見したものはおそらくサムット・コーイが廃れた後、代わりに出版されるようになったという印刷本であった(注8)。立体像の制作においては、「コーム師がアイデアを与え、経典にしたがって門弟がつくる」という回答が得られた。また、この経典の具体名には『三界経』が挙げられた。『三界経』は『プラ・マーライ』経典と同じく視覚表現をもって民衆に普及した経典であり、その写本や壁画に描かれた地獄の描写はタイにおける地獄イメージの源泉となっている。こうした歴史的表現をふまえ、住職は「地獄の芸術創造における元来の考え方は、あらゆる次元で相手が接しやすくなるよう伝える(メディアとなる)ことである」と追記した。
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