― 520 ―― 520 ―翼・・・常に西海から東海に遊ぶに(注21)、夜を以て飛ぶ」という古来の有翼の神仙的飛魚でもある。ただし、西方仙境には〔表1〕龍魚という人面の飛魚もあり、「聖人が乗れば天下を飛翔する」という神仙・儒家の要素を兼備する瑞魚であり、郭璞『山海経図讃』「龍魚」にも同じ特徴が称讃されることから、「万鱣〔図4〕」は晋~前涼において文鰩魚と同じ西方仙境の飛魚として、聖人の乗り物「龍魚」のイメージをも含むものであった、と考えうる。他方、『山海経』海外西経に「陵居する」というこの「龍魚」は『楚辞』天問「鯪魚」注引『山海経』(佚文)と併せれば海内北経・姑射国の「人面の陵魚」と同一視でき、「龍魚・・・一曰鰕」について『爾雅』釋魚に「鯢大者、謂之鰕」とあることから、西北の飛魚「龍魚」は「人面の陵魚」「鰕」を介して②西北の人魚「鯢(郭璞注)」とも繋がる。3-1-3 蘇る西北の古き人魚たち─龍の末裔なお、『山海経』の人魚は中山経に多いが、晋の郭璞が「赤児の声で鳴く、四足の鯢」と見るのは西北の人魚②のみである。となれば、『山海経』西北の「人魚=赤児の声で鳴く、四足の鯢」には人面・有翼の要素がないにも拘わらず、晋~前涼の佛爺廟湾墓の兒魚が人面・有翼(四条の羽)の姿に描かれるのは〔図3、5〕、該期における『山海経』西北の四足の人魚「鯢」のイメージが、同じ『山海経』西北仙境の異形の魚である点で人面魚「陵魚」や飛魚「龍魚」と混交していたため、との推測が成り立つ。さらに、『山海経』の西北仙境は黄河神「人面魚身の冰夷」の住処でもあり(郭璞『山海経』注には『穆天子伝』を引く)、「氐人国(人面とするのは、やはり郭璞注)」など「半人半魚として蘇る神」が多く棲む処でもある。松岡正子(1982)に拠れば、『山海経』西北の人面魚「龍魚・陵魚=人魚」は中国人魚伝説の最古層をなす神域の龍の属であり、それらが冰夷・氐人はじめ西北の「半人半魚の蘇生神」へ転化したという(注22)。晋~十六国の河西墓に多い人面魚の淵源も、まず、この『山海経』西北に棲む古き人魚=人面魚身の蘇生神に求められるだろう(注23)。3-2 空飛ぶ人面の鯢魚・飛魚の成立 ─晋・前涼の西北認識と『山海経』神話受容にみる漢人アイデンテイテイーもう一点、有翼の人面魚「兒魚」が十六国初の河西墓にのみ描かれた要因として着目すべきは、動乱の晋~十六国初期、中国周辺に逃れた漢人たちが古来の『山海経』の神話世界を漢人文化の象徴として受容した可能性である。とりわけ、晋~十六国初の中国東北から韓半島に亘る漢人移民墓に多い『山海経』の人面鳥図が東夷の鳥信仰
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