― 542 ―― 542 ―移って構えた画廊である。場所はロンドン中心部、ウエストミンスターのメイフェア地区に位置するコーク通りで、ロンドンで最も長い歴史を持つ画廊街である。1966年には息子のレスリーも新しく画廊を構え、これが第二期ワディントン・ギャラリーとなる。レスリー自身はピカソやマティスといった近代美術、あるいはモーリス・ルイスなどのアメリカの抽象絵画を敬愛していたが、1980年に、小さな画廊で現代美術を扱っていたヘスター・ファン・ロイエンを迎え、新しい世代を紹介するスペースを新たに開設した。この画廊では、アイルランド生まれの立体作家であるマイケル・クレイグ・マーティンや、セントマーティン美術学校を卒業した彫刻家のバリー・フラナガンら、当時注目され始めたイギリスのアーティストが紹介された(注8)。かんらん舎で数多くの展覧会を行ったイギリスのアースワークのアーティスト、ハミッシュ・フルトンも、1981年から数年間このワディントン・ギャラリーが専属となっていた。またワディントンでは、ジュリアン・シュナーベルやA. R. ペンクらの具象絵画も紹介された。ワディントン・ギャラリーと同時期に現代美術を扱い始め、その後イギリスで最大級の画廊のひとつとなったのが、アンソニー・ドフェイ・ギャラリー(Anthony dʼOffay Gallery, 1965-2001)である。20世紀初頭のイギリス美術扱うディーラーであったドフェイが、ロンドン屈指の高級ブティック街に位置するニューボンド通りに、8室からなる広大な画廊を開廊したのは1979年のことだった(注9)。開廊後初めて行われた展覧会は、1960年代後半からイギリスのアースワークを代表するアーティストとして国際的に知られたリチャード・ロングの個展であった。近年の研究で、ドフェイがこの展覧会と同じ頃にロングの新作「ストーン・サークル」をテート美術館に寄贈していたことが、テート美術館に保存されているドフェイの書簡で明らかになった(注10)。この書簡によると、ドフェイは当初、テートに買い上げを打診していたが、テート側はすでにロングの作品を十分に所蔵していたことを理由に、この申し出を断ったという。しかし、ドフェイがドネーションという形でもコレクションに入れたいと申し入れ、寄贈は受け入れられた。このドフェイの行動について、ロンドンにおけるロングの新たなメイン・ディーラーとしての役割を示したいといという姿勢の現れだということができる。つまり、現代美術に着手したばかりのドフェイが、美術界における画廊の認知度と地位を固める上で、美術館と関係を結ぶことが重要であったのである。その後、ドフェイ・ギャラリーは、アンゼルム・キーファーやサンドロ・キアといった、新表現主義を扱っていくが、一方で、コンラート・フィッシャーとも連携を
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