鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 543 ―― 543 ―とり、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートを積極的に紹介していく。傾向が異なるこの二つの美術領域を同時に扱うことは、70年代までのコンセプチュアル・アートを専門とした他の画廊には見られなかった特徴である。このことは、80年代にはすでにコンセプチュアル・アーティストたちの評価が固まっており、ドフェイのような画廊は、彼らの展覧会を行うことによって、主要画廊としての地位を確定させていったと考えられる。80年代半ばに入ると、新たな画廊が次々と進出していく。そのひとつが、1985年にコーク通りにオープンしたヴィクトリア・ミロ画廊(Victoria Miro)である。ヴィクトリア・ミロ画廊が主に扱ったのは、90年代にロイヤル・カレッジ・オブ・アートを卒業した若い世代、中でもクリス・オフィリやイアン・ハミルトン・フィンレイを紹介し、また特に女性作家に光を当てたことが特徴である。多くのターナー賞受賞者を輩出した他、現在では草間彌生の代表的なディーラーとなっている。このように90年代以降のグローバル化した美術市場の主役となったミロ画廊であるが、画廊のウェブサイトに掲載されている展覧会のリストのうち、開廊から10年ほどの展覧会の出品作家を見ると、ハンス・ハーケ、ウルリッヒ・リュックリーム、ハミッシュ・フルトンといった、国内外の先鋭的なコンセプチュアル・アートを紹介していたことがわかる(注11)。コンラート・フィッシャー・アーカイブには、ミロとフィッシャーの画廊とのファックスが含まれており、ミロ画廊がフィッシャーの画廊から作品を借り受けるなどのやりとりがあったと考えられる(注12)。これもまた、80年代半ばのロンドンにおいて、70年代頃のコンセプチュアル・アートが重要な領域だと見なされていたことを示す一例である。4 ロンドン:リッスン・ギャラリーの先見性ここまでロンドンの3画廊について見てきたが、80年代のロンドンで最も重要と考えられる画廊は、リッスン・ギャラリー(Lisson Gallery)である。1967年に美術学生であったニコラス・ログズデールが、メリルボーン地区に見つけた空きビルに仲間と共に展示スペースを作ったのがこの画廊の始まりであった。画廊街から程遠いこの土地で、ドナルド・ジャッドやダン・グレアムといったミニマル・アートや、アート&ランゲージ、バリー・フラナガンといったイギリスのコンセプチュアル・アートの展覧会を次々と開催し、同じく現代美術を紹介していたナイジェル・グリーンウッド画廊と並んで、重要な現代美術画廊として知られるようになる。ログズデールが海外のアーティストを呼ぶことができたのは、これもやはりコンラート・フィッシャーに

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