鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 553 ―― 553 ―が、それは「新浮世絵」という言葉を鏑木が意識的に用いるようになる時期と重なっているのである。4.「新浮世絵」から「社会画」へ 私一箇の考へとしましては、どうも今のところ吾々の志してゐる新浮世繪といふ風な作品は餘り世間受けがしません、たとへば文展でも、美術院でもかうした傾向の作品はあまり歓迎されていない形です。しかし、吾々の考へてゐる新浮世繪といふのは、決して低級卑俗な作風をねらふものでもなければ、徒らに官覺的な肉感挑發的な題材を取扱ふのでは尚更ありません。この言葉があてはまらなければ、大きく言つて生きた社會、人生の眞相を眞摯に表現して行く一派なのです。決して、今まで世人の解してゐたやうな浮世絵即風俗畫といふやうな淺い皮相的なものではないつもりです。鏑木清方「郷土會展覽會の前に(大正7年5月)」(『審美』第7巻第5号)『鏑木清方文集八』(白凰社、1980年)pp35-36.引用は大正7年5月に展覧された郷土会第4回展の開催前に、鏑木が雑誌『審美』に寄せた文章の一部である。「大きく言つて生きた社會、人生の眞相を眞摯に表現して行く一派なのです」とやや語気を荒げて語る鏑木の姿が印象的である。「浮世絵即風俗画」という浅い皮相的なものではないとも述べる鏑木は、同じ文章の別の箇所で「内容から云つても、宗教的なものもありませうし、文學的なものもありませうし、歴史、風景、人物さまざまの題材があらうと思ひます」と主題の拡がりを示唆し、「兎に角、極めてまじめな、靜かに人生を観照するといふ風の藝術が吾々の希望するところで、私としてはこの意味でこの會の内容も開放し、擴大して行き度く思つてます」と郷土会の拡大路線にもふれている。郷土会の記念すべき第1回展の開催前に書かれた文章ではないものの、第4回展の開催前に発表されたこの「郷土會展覧会の前に」は、同会の未来を見据えた、いわば遅れ馳せながらの郷土会の「宣言書」といえる(注12)。「大きく言つて生きた社會、人生の眞相を眞摯に表現して行く一派なのです」(注13)との表明からもわかる通り、鏑木にとって浮世絵の受容とは、鏑木自身の画業の中だけで完結するものではない。「後進の育成」という拡がりの中で、門下生を含め世代を超えて継承されるべきもの

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