注⑴佐藤道信「美術・美術史・美術史学のなかの浮世絵」(『美術フォーラム21』第34号、醍醐書房、― 555 ―― 555 ―[付記]本稿執筆にあたり、根本章雄氏(鏑木清方孫)、冨田祐一氏・昭子氏(西田青坡孫)、藤田百合氏、ホテルサンバレー伊豆長岡、女子美術大学美術館、名古屋市鶴舞中央図書館の諸氏のご高配を賜った。末筆ながらここに記して謝意を表します。力となり、近代日本画の生成と展開において独自の役割を果たしたと思われる。鏑木とその弟子たちを系譜的に「浮世絵画派」と捉える新たな研究視角は、従来の日本画の形成をめぐる研究成果に新しい視点をもたらすだろう。2016年)参照。⑵鏑木清方の仮名表記は「かぶらききよかた」である。⑶近年の論考として注⑴の佐藤氏の論文や同書所収の浅野秀剛「特集 浮世絵研究の現在と未来」、菅原真弓「浮世絵研究の功罪~近代における浮世絵受容とその波紋」(『美術史論集』神戸大学、2018年)など。⑷松岡映丘「浮世繪式を超脱して」、吉川霊華「江戸と云ふもの復活させて」、山中古洞「歌麿再來の清方君」(いずれも1917年の特集「鏑木清方君の藝術」所収、『美術(第1巻第3号)』)、吉川霊華「完成された浮世絵(鏑木清方論)」(『中央美術』第7巻第9号、中央美術社、1921年9月)など。⑸小林忠「浮世絵末流『鏑木清方』」(山根有三先生古稀記念会編『日本絵画史の研究』1989年)、内藤正人「清方と春章─江戸浮世絵と近代美人画との交渉─」(『出光美術館研究紀要』第3号、出光美術館、1997)、大塚雄三「各章の解説」(『鏑木清方画集』ビジョン企画出版、1998)、宮﨑徹「鏑木清方の江戸趣味と明治趣味」、西山純子「展覧会『鏑木清方と江戸の風情』について」(ともに『鏑木清方と江戸の風情』千葉市美術館、2014年)、新井美那「明治時代における鏑木清方の作品制作─浮世絵受容の観点から」(『美学論究』関西学院大学文学部美学研究室2014年)、佐藤美子「浮世絵研究雑誌における鏑木清方」(『美人画の諸相─浮世絵・団体・メディア─』東海大学、2016年4月)、拙稿「研究ノート 鏑木清方筆《刺青の女》をめぐって:烏合会と郷土会を繋ぐもの」(『成城美学美術史』第23号、2017)など。⑹「名家訪問記(四)鏑木清方氏」(『美術新報(第13巻第3号)』東西美術出版社、大正3年)、樋口弘編「浮世絵の流通・蒐集・研究・発表の歴史『浮世絵文献目録』別冊附録」(『浮世絵文献目録』、味燈書屋、1972年)p. 55より転載。尚、番付中の世話人は浮世絵商人、調役は研究者を示す。⑺門井掬水「紫陽花の思ひ出(濱町以前)」、伊東深水「恩師と塾に對する感想(濱町以後)」、ともに「大家と門下(2)清方先生とその塾(大正8年8月)」(『中央美術』第5巻第8号、中央美術社、1919年)pp84-87.⑻鏑木清方「私の経歴」(『美術画報』第39編巻1、美術画報社、1915年12月)⑼鏑木清方「版画生活の回雇」(『正則洋画講義・新日本画講義 定期増刊第1─第2』(合本の第2号所収)日本美術学院、大正3年1月30日発行)
元のページ ../index.html#567