― 45 ―― 45 ―⑤初期女歌舞伎の変遷─京都国立博物館蔵「阿国歌舞伎図」とMOA美術館蔵「清水寺遊楽図」を中心に─研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程修了(博士・文学)歌舞伎は、阿国が創始しその直後に遊女等によって模倣されて展開したという考え方が広く認められている。絵画や草紙類の分析から、阿国の芸は、「ややこ踊り」「茶屋遊び」「念仏踊り」等の演目があったと考えられ、遊女は阿国の「茶屋遊び」をまねた芸や、三味線を導入した楽器演奏や、大勢の遊女による総踊りを見せていたことが知られている。しかしながら、それぞれの演目や芸が、いつ頃からなぜ発生してきたのか、また、それらは草創期歌舞伎の変遷の中にどのように位置づけられるのかという問題は検討されていない。本研究では、阿国歌舞伎を描いた作品の中でも古例とされる京都国立博物館「阿国歌舞伎図屏風」(以下、京博本)中の「かぶき者」(以下、京博本阿国)〔図1〕と、MOA美術館「清水寺遊楽図屏風」(以下、MOA本)に描かれた同一舞台上に二組の「茶屋遊び」(以下、MOA本「茶屋遊び」)〔図2〕が登場する芸態の遊女歌舞伎を取り上げ(注1)、上述の問題について考察する。京博本阿国は、「かぶき者」が「風呂上がりのまなび」の扮装でポーズを取るもので、阿国がこの芸態を始めたのは慶長九年(1604)末ころと以前に判断した(注2)。それでは、この芸態は阿国の芸歴の中でどのように位置づけられるのか、また、遊女によるMOA本「茶屋遊び」の芸態は、阿国のそれとどのように違うのか、遊女歌舞伎の流れの中でいつ頃のものなのかを追求したい。今まで、文献資料は、有名事象の証左として同じ資料が繰り返し使用されるにとどまり、小さな事象は見落とされてきたと言えよう。本研究では、初期歌舞伎展開当時の日記や書状など年記の明らかな一次資料から歌舞伎に関する記述を採集し、今まで取り上げられなかった記述も含めてそれらを時系列に整理したうえで、演目の種類や芸態の変化の発生期ついて様相を明らかにし、京博本とMOA本に描かれた歌舞伎の位置づけを行う。阿国と遊女の芸能に関連する記述の時系列的整理これまで文献資料は、阿国による歌舞伎創始(『当代記』慶長八年(1603)四月十六日)、四条河原における遊女歌舞伎(『孝亮宿禰日次記』慶長十三年(1608)二月 舘 野 まりみ
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