― 564 ―― 564 ―(3)瀟湘八景(4)肖像簡類」を「むかしの高名な師匠の作とわかれば、要求されるだけのものを支払って購入する」と記す(『東方案内記』第26章)。瀟湘八景に関しては特定の作品に結びつく記録は見つけられなかったが、『日葡辞書』には下記解説が掲載される。『日葡辞書』はTôtei(洞庭)やXeqix(夕照)などの単語にも独立した項目を立てており、他の画題に比べて瀟湘八景に関する情報量が突出して多い。辞書編纂に関わったとされるロドリゲスは、『日本教会史』2巻2章でも瀟湘八景に紙幅を割いている。遠寺晩鐘は、撞木で着く梵鐘が、鐘舌で鳴る洋鐘の荒い音とは違って柔らかく快く響くと補足し、瀟湘夜雨は懐旧の情を催させる静かな雨の夜とする。音を意識した八景の解説は『日葡辞書』と共通する。また、『等伯画説』の「八軸ノ内、夜雨、鐘などはしずかなるべし」の評を連想させる。ロドリゲスがこれらの知識をどこで得たのかは不詳だが、日本の習慣に合わせて茶室を取り入れたイエズス会宣教師らにとって(注18)、瀟湘八景は茶掛に適した画題の一つとして、特に詳述されたのかもしれない。『日本史』第1部27章(永禄3年(1560))には次のような記事がある。「ケッシュウは自分の家で、庭と称せられる庭園を描かせ、その中に一本の枯木と、その周囲には、自分の学識を承認し、資格を授けてくれた学者たちを配し、それに次のような二Facqei(八景) Yatçuno qei(八つの景)シナおよび日本で有名な八つの景色。すなわち、Tôteino aqino tçuqi.(洞庭の秋の月)秋の月。¶Yenjino banxô.(遠寺の晩鐘)遠方にある寺で遥かに響く鐘。¶Xôxno yoruno ame.(瀟湘の夜の雨)夜、この場所で聞える雨の音。¶Yenpono qifan.(遠浦の帰帆)遥かかなたに帆かけ舟を見ること。¶Sanxino xeiran.(山市の晴嵐)山の間に、大勢の人々が市に集まっているのを見ること。¶Guiosonno xeqixô.(漁村の夕照)夕方、漁師の門口で漁をしたり、網を広げたりしているのを見ること。¶Feisano racugan.(平沙の落雁)入江の浜に野鴨の群れが下りる時とか、休んでいる時とかの景色。¶Côtenno boxet.(江天の暮雪)夕方、川とか入江とかに降る雪の景色。
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