鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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スムットニー氏(前掲注⑵、第3章) Joseph Schütte, Christliche Japanische Literatur, Bilder und Druckblätter in einem unbekanntenvatikanischen Codex aus dem Jahre 1591, Archivum Historicum Societatis Iesu, vol. 9, 1940, pp. 261-262. ペドロ・アルーペ、井上郁二訳『聖フランシスコ・ザビエル書翰抄』下巻、岩波書店、1949年、― 572 ―― 572 ― 村上直次郎『新異国叢書3 イエズス会日本年報』上巻、雄松堂書店、1969年。ただしこのフ 桜井英治「「御物」の経済─室町幕府財政における贈与と商業」『国立歴史民俗博物館研究報告 1584年8月、アルブレヒト・アウストリア枢機卿(ポルトガル副王)は天正遣欧使節をシントラに招き、一行が日本から携行した屛風を熟覧したことがルイス・フロイス『九州三侯遣欧使節行記』第3章に記される(岡本良知訳『九州三侯遣欧使節行記』東洋堂、1942年)。 日本イエズス会が天正19年(1590)から約20年間の間に印刷したキリシタン版のなかに『平家物語』(文禄元年(1592)刊)、『太平記抜書』(慶長中期刊)があり、軍記物語の知識はあったと思われる。フロイス書翰は『新異国叢書4 イエズス会日本年報』下巻(雄松堂書店、1969年)による。 Alberto Baena Zapatero, Chinese and Japanese Influence on Colonial Mexican Furniture: The AchinadoFolding Screens, Bulletin of Portuguese Japanese Studies, vol. 20, Centro de História Além-mar,Universidade Nova de Lisboa, Lisbon, 2010. Georg Schurhammer, Die Jesuitenmissionare des 16. Und 17. Jahrhunderts und ihr Einfluss auf diejapanische Malerei, Jubiläumsband. Hrsg. von der Deutschen Gesellschaft für Natur- und VölkerkundeOstasiens, anlässlich ihres 60-jährigen Bestehens, 1873-1933. TEIL 1, Tokyo, 1933, 116-126; 隈元謙次郎「近時発見の帝王図に就て」『美術研究』119号、1941年 『日本教会史』によると、ザビエルが市来鶴丸城のミゲルに授けた「受胎告知の聖母像一枚」などの品々は、ミゲルと同じ洗礼名を持つ息子に相続された。しかし、慶長9年(1605)に息子ミゲルが日本人司祭ルイスに語った話では、土地(薩摩国川辺)の領主が古美術品として見たいと言って取り上げ、ルソン人に売ってしまった。 1584年12月13日付加津佐発クラウディオ・アクアヴィヴァ宛ルイス・フロイス書翰、1587年1月1日付下関発イエズス会総長宛ルイス・フロイス書翰、1593年11月12日マカオ発イエズス会総長宛ルイス・フロイス書翰に基づく。上記書翰はシュッテ師論文(前掲注、257~261頁)に独語訳され引用されるが全文は掲載されていない。上記の概要を隈元氏が和訳紹介している(前掲注、7~9頁)。 岡本良知『吉利支丹洋画史序説』昭森社、1953年 この前年(1562年)には、アルメイダがイエスの名を記した金地の扇80本をヨーロッパのイエ⒄アレッサンドロ・ヴァリニャーノ著、佐久間正訳『日本諸事要録(『日本巡察記』東洋文庫229)』平凡社、1973年⒅スムットニー氏(前掲注⑵)⒆村上直次郎(前掲注⑽)⒇「或る記に曰く、堂中の柱等に絵あり。未申の柱に法相曼陀羅を書く。また巽の柱絵は不可思議なり」(「興福寺濫觴記」『大日本佛教全書 寺誌叢書第三』佛書刊行会、1915年)ロイス書翰では法華経を「9巻」とするなど、『日本史』と一致しない記述がある。書』92号、2002年書翰第27

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