鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 578 ―― 578 ―ハ唱歌』、1906年(明治39)に『仏教唱歌集』など、仏教音楽の唱歌集が刊行された。『法ノ道イロハ唱歌』は、山口県赤間関市の浄土真宗、経法寺三教会主であった多田道然によって作詩された。また、『仏教唱歌集』は、浄土宗、曹洞宗など宗派を超えて結成された仏教音楽会が編纂を行っているが、京都においてはおもに浄土真宗が中心になっていたという。そして、大正期に入ると、1918年(大正7)に本願寺ハワイ別院より『らいさん』が刊行された。この『らいさん』では、前年に偶然ハワイに赴いていた山田耕作(のちに山田耕筰と改名)による作曲が行われている。『らいさん』のなかには最澄や日蓮などの和歌や、源信、覚超、永観、千観、親鸞の和讃が収録されたという(注17)。讃仏歌は、宗派問わず、仏教全体の教義を歌で表したものであったが、その普及の中心には浄土真宗のはたらきがあったとみられる。ところで、この仏教全体の教義と、児童教育がなぜ関係するべきなのか、野口雨情は以下のように述べている。 ところで、私共考へますのに、童謡は童心より発するもの、童心より流れ出るものが童謡であると考へて居ると同時に童心に就いて少しばかり考へて居ります。つまり童心と仏心と云ふものは同じものであると云ふことに心付いたのであります。それから東西古今の先哲、或は哲学者の言はれました言葉を綜合しますと、お釈迦様の説いて居られます仏心は、我々の言ふ童心と同じものだと云うことが解つたのであります。このように野口は、「童心と仏心と云ふものは同じものである」としている。そして、「童心」は決して子どものみが持つものではなく、大人の心の中にも存在するものであり、童心を持つ者が極楽浄土に導かれるとも語っている(注18)。さらに野口存彌氏は『野口雨情―詩と人と時代』において、野口がキリスト教においても「童心」が重要であることを説き、子どもを救済者とみなしていたことを指摘している(注19)。つまり野口は、宗教や宗派を限らず、「童心」が仏や神の心そのものであると考えていたといえよう。そして、子どもや大人の「童心」(仏心)を引き出す手段として讃仏歌を推奨していたといえる。このように、童謡、音楽の分野では、讃仏歌によって子どもと仏教信仰を結びつける運動が行われていた。讃仏歌や、仏教的意図が込められた童謡が発表され、大正期には宗派を問わず仏教音楽が親しまれつつあったようである。その後、さらに讃仏歌は隆盛をみせる。

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