鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 583 ―― 583 ―4.2018年度助成①山田新一研究─日本占領期における在韓日本人画家の越境の記録─研 究 者:東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程満期退学序:在朝日本人画家の再考日本占領期(1910~1945)に朝鮮で活動した在朝日本人画家については、彼らの「境界人」のアイデンティティーや、その自意識が反映された作品に焦点を合わせた研究が主になされてきた。「美術の処女地」における画壇の形成や発展に中心的な役目を果たしていたにもかかわらず、日本内地画壇において地方の画家に過ぎなかった在朝日本人たちは(注1)、自分の孤立感や漂流感を癒し、内地画家と区別される芸術的オリジナリティーを保つために、朝鮮特有の風俗や情緒を描いて「外地」の日本人としての境界的な立場を表していたとのことである。山田新一(1899~1991)は、このような典型的な在朝日本人画家とは一線を画する人物である。彼は20年以上、朝鮮画壇の重鎮として活躍しながら、日本と朝鮮の画壇を緊密に繋げる「架け橋」の役割を果たし、作品においても朝鮮色を表した作品をほとんど描かなかった例外的な画家なのである。しかしながら、山田という芸術家が抱えている歴史的・美術史的な問題意識にもかかわらず、日本近代美術史の中で彼の存在はほとんど取り扱われたことがない。あるいは、近代日本の戦争画を論じる中で、戦争画を取り集めた当人としてその業績の一部が取り上げられるだけである。山田が戦前の朝鮮画壇で行なった活動を考察することは、同画壇の実態を複眼的な視点から把握し、当時朝鮮で活動していた日本人画家たちの相異なるポジションを理解する重要な手がかりとなる。併せて、朝鮮の洋画界における山田の位相も解明できるに違いない。筆者は、山田のほぼすべての資料が所蔵されている都城市立美術館(宮崎県)にて、長期間にわたってアーカイブ調査及び作品の実見調査を行い、同館の担当学芸員と山田の朝鮮時代の弟子へのインタビューを実施した。本稿では、これらの結果に基づいて、今まで真剣に扱われたことのない山田の朝鮮時代の活動の実像に迫る。具体的には、1930年代における山田の著述と作品を幅広く検証し、朝鮮画壇における彼の立ち位置や自己認識などを考慮しながら、同時代の朝鮮画壇で重要な話題となっていたローカルカラーに対する同氏の見方を明らかにする。申   旼 正(シン・ミンジョン)

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