鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 585 ―― 585 ―鮮生まれなのか日本内地からの移住なのかによって自ずと「階層」が存在していたと言える。日本占領期の朝鮮画壇における画家間の格差や不平等、対立と葛藤は、民族に限らず、朝鮮在住の日本人の間にも存在しており、画家同士の協力や排斥は、帝国と植民地という二項対立的な構造を超えて、より複雑な形で行われていたのである。二.山田新一の「反ローカリズム」郷土色の表現は、植民地美術を論じる上で欠かすことのできない主題であるが、その重要性は在朝日本人画家にとっても例外ではなかった。白い朝鮮服を纏って壺を頭に載せた女、妓生や砧打ちの場面、背負い子を担いだ男などといった風俗的な素材は、朝鮮を代表するイメージとして「日本的オリエンタリズム」を具現化し、日本人の古代趣味を満足させる代替物として機能したが(注5)、在朝日本人にとってこのような画題は、彼らの「境界人」としての「曖昧な自意識」を迂回的に表現する造形的装置となった〔図2〕。例えば、安藤義茂の絵は朝鮮人の暮らしを自らの日常と接するものとして印象深く表した作品と評価されるが(注6)、このように朝鮮に居住する日本人画家たちは、自身の同一性を「外地」のイメージに投影することによって、日本より遅れた場所で活動する疎外感や不安を吐露すると共に、朝鮮への並々でない親近感を表したのである〔図3〕。「実際に朝鮮に住み生活する者こそ、真の郷土色を表現することができる」といった在朝画家たちの主張は(注7)、朝鮮的情趣の描写を求める官展の内地審査員の要望に符合して、1930年代の大半を通じて朝鮮画壇ではローカルを取り扱った作品が数多く制作された。このような中、山田が朝鮮郷土色の表現を保留する旨を述べていたことは注目に値する。本稿では、便宜上それを「反ローカリズム」と呼ぶことにする。學問にも科學にも、今は孤立の世界なく、況して藝術界に於て世界と共に歩ますして、小さなローカルカラーの世界に生きて行かれるだろうか。(中略)朝鮮のオンドル家を描いたからローカルカラーの繪である。/チョゴリを着た少女を描いた繪だから、ローカルカラーの優れた繪である……/と云ふやうな審査上の着眼點を作ることは、青年朝鮮美術界の進歩に却つて寒心すべき害毒を致すものだと思はれる。(注8)山田が1935年に書いたこの文は、彼の「反ローカリズム」の考えを端的に現していると思われる。同文によると、自国の伝統を大事にするのは重要であるものの、然り

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