鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 586 ―― 586 ―とて郷土の表現に拘泥するのは望ましくなく「瞳を世界の隅々に迄放つて」当代の多様な芸術を積極的に受け入れる必要があるという(注9)。また、朝鮮的な素材を取り扱った作品だからと言ってローカルカラーの優れた絵とは限らず、地方色とは朝鮮の画壇が成熟すると自然に作品から滲み出るものだと付け加えている。1928年から29年にかけてパリに留学し、アマン=ジャンに師事しながらエコール・ド・パリの画家たちと幅広く交際した山田は、ローカルを見事に描くためには、先に洋画の本場ヨーロッパの絵画に注意を向けて、それをきちんと身につける必要があると信じた。かつ、朝鮮のより多くの人々が絵を楽しむ環境を整え、官展全体のレベルを向上させて、朝鮮の美術が自立的に発展できるような基盤を固めることが、何よりも先に行わなければならないことだと考えた(注10)。山田は、ローカルカラーの表現自体を否定したわけではない。彼が警戒したのは、洋画の技法や特質を十分に習得する前に、無闇にローカルの表現を追求する安易さであり、郷土的素材を描いただけで満足し、それを高く評価する態度だったのである。実際「反ローカリズム」の問題は、山田に限らず、朝鮮美展の重鎮画家や関係者の間で頻りに提起されていた。例えば、同展の第1回展から評委員を務めた高橋濱吉は、「數年前からローカルカラーの問題で稚拙なのがローカルカラーと見られて選に入る、さういふのが打つ壊しになるのぢやないか」と述べながら、ローカルカラーに偏重した審査に意を立てた(注11)。また、洋画家の荒井龍男は、ローカルカラーは朝鮮の美術が自立できるようになると自然に出て来るものであり、いやに強調する必要はないと述べている(注12)。これらの人たちの発言にも窺われるように、ローカルカラーの「素材中心的」な傾向に対する批判と、郷土色の表現は「時期尚早」だという主張が「反ローカリズム」の大綱であったと言えるだろう。それでは、山田が考えるローカルカラーの優れた絵とは、いかなる作品であったのだろうか。例えば、彼は第18回の朝鮮美展で特選となった藤澤俊一の《種物売り》について、「朝鮮色をよくとらへた街頭スケツチであつて、然も、其色彩や調子の、味はひある美しいアルモニーには敬服せざるを得ない」と絶賛している(注13)。藤澤俊一自身も述べている通り、この作品は色彩表現に骨を折った作品であったが(注14)、このように山田にとって理想的なローカルカラーの絵とは、朝鮮の風物を描いた上に、造形的な工夫が窺われる作品であった〔図4〕。三.絵画の「普遍性」と美術の標準作品に思想を盛ることより、美術の基礎的な技術の勉強の方を重視した山田の「反

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