鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 592 ―― 592 ―②『ビーブル・モラリゼ』における偶像と蛇序研 究 者: 名古屋大学大学院 人文学研究科附属人類文化遺産テクスト学研究センター 共同研究員  竹 田 伸 一本稿では13世紀に制作された『ビーブル・モラリゼ』を扱う(注1)。『ビーブル・モラリゼ』とは13世紀から15世紀にかけてフランス王家のために制作された挿絵付聖書で、初期の典型的な7組の写本は上に聖書テクストと聖書図像、その下に解釈テクストと解釈図像の一組が類比的な関係を持つように構成される(注2)。本稿では1240年代に制作された『ビーブル・モラリゼ』、現在オックスフォード、パリ、ロンドンの3都市に分在するOPL写本(MSS Bodeley 270b, Latin 11560, Harley 1526, 1527)における血を流すキリスト磔刑像を中心に考察する。残念ながら、OPL写本では磔刑像のモデルとなったキリストの受難物語の十字架の場面のフォリオが全て消失している。そこで、OPL写本がモデルとしたトレド写本(MSS Toledo I, II, III, M. 240)とOPL写本をモデルとしたアディショナル写本(MS Add. 18719)の並行するフォリオから、本来のOPL写本の消失部分のフォリオの再構成も試みる。1.血を流すキリスト磔刑像執筆者のこれまでの研究を踏まえると、OPL写本の新約部分ではしばしば偶像が意図的にイコノクラスムを受けたような、未完成のような、見えにくい「存在しないもの」として表現される一方、新しいキリスト教イメージとしてのキリスト磔刑像と偶像がしばしば対比される〔図1〕(注3)。また、初期のウィーン写本(1220年代、MSS Vienna 2554, Vienna 1179)と異なり、トレド写本(1230年代、MSS Toledo I, II, III, M. 240)以降は写本内のキリスト磔刑像の数が激増する(注4)。この背景には既に公認されていた2次元の絵画やイコンに加えて、3次元のキリスト磔刑像を新しいキリスト教イメージとして強調し、定着させようとする意図が考えられる。他方、磔刑像には偶像と混同される危険性があったため、それを防ぐために血を流すという表現が用いられたことが考えられる。今回の調査で大きかったのは研究対象の中心とする3都市に分散するOPL写本の全てとOPL写本をモデルとしたAdd. 18719を同時期に調査できたことである。OPL写本の一部だけでは見落としがちな細部の表現に関して写本全体を通して見ることによって、その特徴的な描写を確認することができた。その表現とは血を流すキリスト磔刑

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