鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 49 ―― 49 ―MOA本の芸態とその位置付けMOA本の遊女歌舞伎の舞台には「茶屋遊び」が二組見える。右の組の「かぶき者」(以下、MOA本「かぶき者」-ア)〔図8〕は、刀を肩に担ぎ、開いた扇を持ったもう一方の手を前に出す形のポーズで、頭部は若衆髷を結っている。左の組の「かぶき者」(以下、MOA本「かぶき者」-イ)〔図9〕は、床に突き立てた刀に左手を乗せ寄りかかるようにして立ち、右手で内着の赤い衿をつかむ。このような芸態が遊女歌舞伎の変遷においてどのように位置づけられるか検討する。前者MOA本「かぶき者」-アのポーズは、阿国が演ずる「かぶき者」である京博本阿国〔図1〕や京博本R阿国〔図5〕に通じるが、違いは、腰を大きく右に突き出し、右上方に顔を傾けている点である。その左隣には、太鼓のばちのような棒二本を左手に握り、右手に開いた扇を持った「茶屋のかか」がいる。この二人の顔の向きや小袖のたもとがなびく様が同様であることから、フリを合わせて踊っていると思われる〔図2〕。MOA本「かぶき者」-イの床に立てた刀に手を乗せバランスを取るような姿勢は、ほかに遊女歌舞伎を描く作品では徳川美術館「歌舞伎図巻」(以下、徳川本)の巻末に描かれる「茶屋遊び」の「かぶき者」に見られる(但し、立てた刀に手ではなく腕を乗せて寄りかかり、右手には閉じた扇を垂らし持つ)。両者とも腰を「く」の字に引いているが、MOA本「かぶき者」-イの方が強く引いていて身体の動きを伝える。MOA本の舞台の後部には太鼓1、大鼓1、小鼓2の計四人の囃子方と、唄方と思われる男女二人が並ぶ。囃子方は、例えば小鼓奏者を見ると、右肩付近に鼓を構え右手で打つなど、各々の楽器を演奏するポジションで描かれ、更に唄方の男は扇子を手にしていることから〔図10〕、まさに歌謡の楽曲が演奏中であることを示す(注12)一方で、徳川本の囃子方は、楽器を床に置き、唄方はいないようである(注13)。つまり、徳川本の「茶屋遊び」は劇としての「茶屋遊び」の場面を見せ、MOA本は演奏をバックに「茶屋遊び」の扮装で踊る舞踏を描いているのである。筆者は、MOA本の舞踏歌謡の内容を探求すべく、MOA本に繰り返し描かれる特殊な風俗と遊女歌舞伎歌謡との関連性を本研究助成の成果の一部として別稿に記した(注14)。MOA本の画面に散りばめられた計26人の染革製の袴(紺色菖蒲文様と金茶色幾何学線模様の袴)を着けた男たちと、肩や腕や手をつかむなど大胆な方法で女に言い寄る男たちのモチーフは、当時の記録に現れる「皮袴組」と呼ばれた無頼の徒や(『当代記』慶長十四年(1609)四月)(注15)、「女色に耽る」男たち(『当代記』慶長十一年六月条)(注16)を示唆すると同時に、当時の遊女歌舞伎踊歌の歌詞にも通じるのである(前掲注14)。MOA本の舞踏は当時のそういった風俗を歌った歌謡をバッ

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