鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 603 ―― 603 ―3.2017年度助成①浮世絵師・楊洲周延の画業に関する研究研 究 者:町田市立国際版画美術館 学芸員  村 瀬 可 奈はじめに楊洲周延(1838-1912)は、明治期に活躍した歌川派の浮世絵師である。歌川国芳や国貞、豊原国周に学び、錦絵や版本、新聞挿絵を通して明治の諸相を多角的に描き残したことで知られる。現存する作品数が比較的多い周延の画業は、とくに展覧会を通して紹介が進んでいる。2006年、米国スクリップス大学コレクションを収録したCHIKANOBU: Modernity and Nostalgia in Japanese Prints(注1)が刊行されると、2009年には国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館と太田記念美術館で、没後100年にあたる2012年には上越市立総合博物館、平木浮世絵美術館、福生市郷土資料室でそれぞれ展覧会が開催された。また近年、高田藩士として戊辰戦争にも参戦したという、画工としては特異な経歴が鈴木浩平氏により詳しく紹介され、その前半生にも注目が集まっている(注2)。一方で、その作品数の多さも一因となり、『千代田の大奥』や『真美人』など美人画の代表作を除いては画業の把握が進んでいるとは言い難く、芳年、清親、国周ら同時代の浮世絵師たちに比べると基礎研究が遅れているのが現状である。そこで本研究では、作品の基本情報を収集、整理することで、その画業展開と特質を明らかにするための基礎的な作業としたい。1 目録作成(1)先行研究1970年、吉田漱氏と千頭泰氏による「楊洲周延論・同錦絵目録<未定稿>」が『季刊浮世絵』43号に発表された(注3)。次号にかけて850点以上の作品がリスト化され、これが今日に至るまで周延の画業を把握する貴重な手がかりとなっている(注4)。しかし、作品名や刊行年には修正が必要な箇所がみられるほか、例えば芳年の場合は優に1,600点を超える作品が報告されている(注5)ことを踏まえると、点数についても更新の余地がある。美術館・博物館のデータベース、古書店の目録などに掲載される情報をみる限り、明治浮世絵師のなかで周延の作画量は決して少なくない。

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